既存の単語で簡単に表せない関係性

 本作の中では、まゆ子が海外の女優に似ていると言われるシーンが2度、登場する。

「まゆ子はもともと中性的で、キレイな顔立ちの人なのだと思います。ただ、自分のことを、例えば性同一性障害といったような言葉にあてはめて認識してはいないんです。自分が世間になじみにくくて、女性の格好をしているほうがしっくりくるという、ただそれだけの感覚で生きている人なんです」

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 既存の単語では表現しきれない個性を持つまゆ子だが、物語の世界にスッと溶け込んでいる。その潤滑剤的な役割を果たしているもののひとつが、線虫だろう。物語のところどころに、千景が「先生」と呼ぶ元大学教授の家を訪れ、顕微鏡で線虫の観察をする場面が差し込まれている。

線虫は99%が雌雄同体で、オスの機能もメスの機能も持っている生き物です。大学の卒業研究の際、おもしろそうだなと思って線虫の性の分化に関するテーマを選んだのですが、まさか小説に役立つとは思ってもいませんでした(笑)」

 もうひとつ、本作の中で隠れた名脇役ともいえるのが、カタツムリ。まゆ子はふとしたきっかけで知り合った「先生」の孫と、カタツムリの飼育を通して交流を深めていく。

「卒業研究の経験から、私の中で雌雄同体の生き物はイコール線虫だったんです。でも、もっと身近な存在の雌雄同体の生き物も登場させたいと思い、カタツムリにたどり着きました。雌雄同体といっても、線虫は線虫で、カタツムリはカタツムリで、どちらも違う生き物ですから。線虫やカタツムリを通して、いろいろな生き物がいるという提示ができたらと思いました」

 本書には次のような記述がある。──結局は、ただの有機物のかたまりなのだ。高度に複雑に組み合わされてはいるけれど、人間の身体なんてほどいてしまえば炭素と酸素と水素だ──。

「生き物の中には、カタツムリも線虫も人間もいますし、人間の中にもいろいろいます。まゆ子の属性にあえて名前をつけなかったのは、つけてしまったら、もうその名前の生き物に分類されてしまうから。でも、まゆ子はまゆ子なんです」

 性的少数者の話題が注目を集めつつある今、本作は一見、ジェンダー問題を扱った作品のようにも思える。だが、根底にあるのは、先に述べた春見さんの素朴な疑問だ。

「心の性別というのは、実は誰にでも関係のあるテーマではないかと思うんです。この作品が読者のみなさんにとって、心の性別というもののあいまいさや、“心が男、心が女ってなんだろう?”ということを考えるきっかけになったとしたらとてもうれしいです

■著者の素顔

 薬剤師として働きながら小説の執筆をしている今、「眠っている時間がいちばんの幸せです」と話していた春見さん。目下の悩みは肩こりと腰痛なのだそう。「普段から、マッサージ屋さんにはよく行っています。今日は北海道から飛行機で上京したのですが、羽田空港に着いてすぐ、マッサージ屋さんで身体をほぐしてもらいました(笑)」

取材・文/熊谷あづさ

<プロフィール> はるみ・さくこ。1983年、北海道生まれ。北海道大学薬学部卒。北海道内で薬剤師として働きながら’15年より小説を書きはじめ、’16年『そういう生き物』で第40回すばる文学賞を受賞。趣味は読書で、本棚に多く並んでいる作家は松本清張と筒井康隆。「世の中のルールと個人の思いや感覚が必ずしも一致しないこともあります。そうした“ズレ”のようなものを落とし込んだ作品を書いていきたいです」