国会議事堂
東日本大震災における発言をメディアが大きく報じたことも相俟って、26日、復興相を辞任した今村雅弘氏。これを受け、同日、自民党の二階俊博幹事長はメディアに苦言を呈した。発言の一部分のみが一人歩きし、それに対し謝罪を求める風潮の高まりが否めない昨今、フィフィは息苦しさを感じているという。

「謝罪ばかりを求める窮屈な風潮」

 元々、日本人はすぐ謝るところがあるよね。だけど、最近その度が過ぎているように思います。

 今村氏の辞任の件は、そもそも今回の失言以前に、この人は復興相に向いていないんだなと思う言動が多々あったので、いずれにせよ辞めなきゃいけなかったんだとは思います。発言自体も、居酒屋でおじさんがノリで言うような発言に近かったですし、適切ではなかったと思う。

 だけど、それに対して発した二階氏の言葉は一理あるなと。発言のなかに1行でも悪いところがあると、首を取れと言わんばかりに報道するマスコミの姿勢を二階氏は批判していましたが、そこには深いものがあると感じたんです。

 本来、政治とマスコミは対峙するところにいなければならないわけですから、マスコミが政治家の足元を掬おうとするのは、ある程度仕方のないことではあります。だけど、それがあまりにも行き過ぎてしまうのは問題。テレビを見ていても、誰かが失言した、誰かが不倫した、ずっとそういう話ばかりでしょ。報道がそこに留まってしまっていて、本当にしなければいけない話にまでいっていないわけです。

 そして、こうした過度なマスコミの報道に世間が刺激され、謝罪ばかりを求める窮屈な風潮ができてしまうこと。これを私は危惧しているんです。

 昔は有権者が声を届けようにも、その方法がなかったけれど、今は発信できるツールがあるでしょ。ひとつひとつの発言に敏感に反応して、それを発信することができる。

 だから政治家たちも、昔と違って、ひとつ失言してしまったらアウトなんだなというところをすごく怖がっていると思いますよ。マスコミの意見に世間が同調して、ひとりひとりが発信することで追い込みにかかることを怖がっていると思います。発信するツールがなかった時代、つまり一昔前の政治家はもっと自由に発言していたよなと思うわけです。

「ターゲットは芸能人にも…」

 そしてそのターゲットは政治家のみならず、芸能人にも向いています。芸能人の些細な言動すらターゲットになっているんです。

 たとえば最近でも、子どもに蜜の吸い方を教えるために、公園に咲いていたツツジを摘んだことを医師でタレントの友利新氏が25日のブログに綴ったところ、窃盗罪もしくは器物損壊罪にあたるとの批判の声が寄せられ、謝罪しましたよね。

 この行動を謝罪するべきだと思っている人なんて、本当に一握りだと思います。いくら謝罪を求める風潮があるからといって、何でも謝罪すればいいという話ではないですよね。SNS上で拡散した投稿のなかに、何らかの批判できる点はないかと探している人たちが常にいるわけですから。そのひとつひとつに必ずしも対応する必要はないと思います。

 謝罪させることに過度に躍起になっている人たちの声ばかりが、あまりにも届き過ぎた結果、本当につまらない社会になってしまいましたよね。

<構成・文/岸沙織>