お金より、生きる技術を息子に残す
その田んぼで、今年3度目の米づくり作業を始めたのは、昨年千葉県市川市から移住してきた近藤愛さん(32歳)、剛志さん(44歳)、大和くん(7歳)一家だ。
愛さんはこう語る。
「地域のお母さんたちにいろいろ助けてもらっています。子どものこともすごく可愛がってくれるんです。息子が入った小学校では校長先生が冗談まじりに“大和くんの入学で廃校の危機を逃れられた”と喜んでくれました。移住がうまくいってるのは、8割は子どもの力ですね」
そもそも近藤さんが移住を考えたのは東日本大震災のとき。スーパーから食料も飲み水もなくなり、当時1歳の大和くんのための離乳食も手に入らない。お金はあっても、意味がない。いままで何を信じていたんだ─。
そう思っていたときに高坂さんと出会い、匝瑳で田んぼを借りて米づくりを始めてみた。その作業を通して「この子に残してあげられるのはお金ではなく生きる技術、食べ物を生み出す知恵だ」と実感。最初の刈り入れが終わるころに移住を決意。古民家も見つかって、大和くんの入学に合わせて’16年3月、住んでいたマンションを売り払って引っ越した。
それまで剛志さんは都内の大型テーマパークで演奏するフリーのミュージシャン、愛さんは同所の照明係。その生活は移住とともに一変した。地域に早く溶け込みたい。地域の一員として生活がしたい。それが2人の願いだ。剛志さんは言う。
「僕は今年から消防団に入りました。月に1、2回集まってホースの点検や防火訓練をしています。地域のお父さんとも横のつながりが欲しかったので、ここでの出会いはうれしいです」
愛さんは集落で行われる『お子安講』に参加する。
「年に2回、女性たちが集まって安産祈願をする。いままでは、おばあちゃんばかりだったから私が入ってとても歓迎してくれました」
そういう姿が、地域の人にも伝わるようになった。
だが、問題は仕事だ。剛志さんが言う。
「都内での生活費は30万~40万円。こちらでの生活は20万ですむんですが、そのお金をどう稼ぐか。今年からピアノ教室も始めます。生徒も入ってくれて、現在、絶賛大募集中です。将来は音楽で生計を立てたいと思いますが、いまはそれだけでは安定しない。やはり生業が必要なんです」
移住してからの1年間、2人は自分たちに合った仕事を探し続けた。移住仲間も情報をくれた。知り合いの社長が助けてくれたこともある。都会でも同じだが、理想の仕事にはなかなか出会えるものではない。
そんなとき、移住仲間が『市民エネルギーちば』を起業し、畑でソーラー発電を始めると聞き誘われた。
「ここで働かない選択はないと思いました。食べ物とエネルギーを自給できる。ぼくらの理想の原点です」
その現場では35000平方メートル(3・5町歩)の休耕畑一面に、約3メートルの高さでソーラーパネルが張られている。下の畑では小麦が無農薬栽培され、いずれ野菜もつくられる。
近藤夫妻はここで働くことに決めた。自分たちの理想の生活へ。一歩一歩の歩みが続く。
文/ノンフィクション作家 神山典士