体罰を苦に退部を申し出たが却下され、自殺
学校で起きたいじめや体罰、事故で子どもが亡くなった場合、遺族は孤立し、悩むことが多い。2011年10月、滋賀県大津市の中学2年生の男子生徒が自殺。加害者のうち2人が暴行容疑で書類送検、1人が児童相談所送致された事件を受けて、『いじめ対策推進法』が’13年に成立した。いじめによる自殺や不登校などがあった場合、調査委員会が設置されるようになった。ほかの学校事故や事件でも同様の調査委が設置されることが増えつつある。
東海地方では、遺族同士の情報交換をする『学校事故事件遺族連絡会』が結成され、今年で3年がたつ。5月7日、名古屋市内で会合が開かれた。呼びかけ人は山田優美子さん。「ほかの遺族とは個別につながっていたのですが、東海地方で遺族が集まる機会がなかったんです」
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山田さんの次男、恭平くん(当時16)は’11年6月にみずから命を絶った。愛知県立刈谷工業高校の野球部に所属していたが、体罰が常態化。4月、退部を申し出たが却下された。そんな中で、副部長がキャプテンを通じて恭平くんを呼び出した。体罰を予感したのか、恭平くんは友人に《ビンタ、タイキック、グーパンチ覚悟》とメールを出している。結局呼び出しに応じず、その2日後、廃車置き場で練炭自殺した。
学校が県教委に報告書を提出していたため、両親は調査委員会の設置を求めた。設置はされたが、委員の名前は非公開、遺族が目の前にいるにもかかわらず職業を名乗っただけ。不信感を持った両親は調査委の審議を拒否、退席した。
それから県知事に別の委員会の設置を要望し、調査委ができたが、遺族の独自調査で得られた生徒の証言は採用されず。事実認定には限界があった。
また、災害共済給付金を運用しているスポーツ振興センターに死亡見舞金の申請もしたが、1度は却下された。高校生の自殺は「故意」とされ給付が認められないことが多いからだ。しかし、不服審査請求の際、独自調査も提出。学校生活との関連が認められた。
遺族にとって、調査はハードルが高い。ここまでしなければ、学校生活との因果関係が認められない。
「恭平には直接の体罰はありませんでしたが、パワハラ、暴言がひどかった。そのことを両親に話さなかったのは恥ずかしいと思ったからではないでしょうか」
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連絡会の賛同人のひとりが西野友章さんだ。’10年6月、静岡県浜松市の浜名湖で訓練中、愛知県豊橋市の中学校の手漕ぎボートが転覆。1年生だった花菜さん(当時12)が水死した。
父親の西野さんは民事裁判と刑事裁判で、責任追及をしてきた。’12年5月、静岡県と豊橋市に損害賠償を求めて提訴。10月に和解が成立した。一方、静岡県警などは元校長や県の教育施設の元所長を書類送検。元所長だけが起訴された。
静岡地裁は元所長に対して、業務上過失致死で禁錮1年6か月、執行猶予3年の有罪判決を下した。
さらに西野さんは’16年4月、元校長の不起訴処分は不当として検察審査会に審査を申し立てた。同年10月、不起訴不当の議決を受け、西野さんは適正な再捜査を静岡地検に申し入れた。しかし、’17年3月10日、再び不起訴処分とされた。
7日の会合では、栃木県那須町で起きたスキー場での雪崩事故について言及。西野さんは「経験則が邪魔をする。データに基づいた判断が必要だ」と訴えた。
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全国柔道事故被害者の会の代表、倉田久子さんも賛同人だ。次男で、名古屋市立向陽高校1年生の総嗣くん(当時15)は’11年6月、柔道部の練習中、大外刈りで投げられた際に後頭部を打った。安静にしていたが、立ち上がろうとして気を失い、病院に運ばれた。およそ1か月後の7月、急性硬膜下血腫で死亡した。
名古屋市教委は’12年2月、市の柔道安全指導検討委員会を開催し、5月には報告書を出している。
総嗣くんは高校から柔道を始めた。顧問の教員は柔道経験が少なかった。
初心者の1年生は、4月中は基本運動と受け身の練習だけをしていた。5月下旬、練習中に受け身を取ることができず後頭部を強打。6月にも、背負い投げをしたときに右頭頂部を打撲した。事故当日、顧問が駆けつけたときには、総嗣くんは口から泡を吹いていた。
検討委は事故の発生要因について検証、練習計画や指導体制、柔道の習熟度を調べた。総嗣くんの状態を顧問や養護教諭、学級担任がどのように把握していたのかも調査した。そのうえで、再発防止を提言した。
「柔道事故での調査委員会は名古屋市が初めて。学校の対応はよかった。状況を知りたいと言ったことは調べ上げてくれました。早い段階で再発防止策も取れた。声をあげていかないと、同じ事故が起きます」