上野動物園のパンダ・シンシンが5年ぶりに出産。小さな赤ちゃんの愛らしい姿に多くの人がメロメロに♪ その舞台裏では、難しいパンダの出産を全力サポートしてきた飼育員たちの並々ならぬ努力があった! 全国各地の動物園は今、転換期を迎え、おもしろい工夫や取り組みが広がっている。感動と発見をじっくり味わえる動物園の新たな魅力、一緒に探してみませんか?
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日本人は動物園が大好きな民族である。最近では野生で生存が難しい希少動物も増え、動物園には「種の保存」という役割も生まれてきたが、海外に比べて、日本の動物園は“エンタメ”の要素が強い。その理由を歴史からひも解くと、福沢諭吉のエピソードに行き着く。
動物行動学者の新宅広二先生に話を聞いた。
「福沢諭吉が海外視察した際に、動物園の原型である『ズーロジカル・ガーデン』の存在を知り、意図的なのかおっちょこちょいなのかわからないのですが、誤訳するんですよ。ズーロジカル・ガーデンのズーロジカルは“動物学”、ガーデンは“園”。だから、より忠実に訳すのなら『動物学園』となるはずだったのです。ところが“学”を諭吉さんは入れなかった」
ここから日本の動物園は幸か不幸か、学術的な要素よりもエンターテイメント方向へ進化していったということだ。
それに比べて、海外の動物園は博物館の位置づけになっている。
「海外では利用者もそれを意識して、博物館に行くような感覚を持っています。日本の場合“エンタメ”からスタートしましたが、ロンドン動物園をベースにしているので、完成度は非常に高い。特に上野動物園は1882年の開園当時から、今と比べても遜色のないクオリティーの展示をしていました」
上野動物園といえば名作絵本『かわいそうなぞう』。本誌読者なら1度は読んだことがあるのではないか。実はこの物語には、あまり知られていない別の真相があるという。
「戦局が不利になってくるとエサをあげる余裕もないのに、芸達者で大人気のゾウを目当てに300万人もの入園者がいたんですよ。『かわいそうなぞう』は、“空爆で猛獣が逃げ出して市民を襲わないよう殺処分を命じたが、飼育員が毒殺しようとしても毒針が刺さらない”という内容ですが、本当は東京市(当時)から“餓死させろ”というお達しがあったのです。“人気者のゾウも飲まず食わずで頑張っているんだ、おまえらも頑張れ”っていうネタに使うために餓死させられたのです。プロパガンダとして使われてしまった。悲惨なことですよね」
戦後の東京は焼け野原。家族や住む家もない人が何十万何百万といた─。
「当時の日本政府は孤児たちをどうやって癒すか考え、動物園を作ろうと大英断。国家プロジェクトが立ち上がりました。上野動物園にいるゾウなどを列車に乗せて巡回する“移動動物園”を開催すると、子どもたちが喜んでイキイキする。動物園にこんなに力があるなら、全国に公立の動物園を作ろうという動きにつながり、日本が動物園大国になっていくのです」