「えっちゃん、ありがとう!俺も、もうすぐそっちへ行く……!」
1月12日に亡くなった市原悦子さんの通夜が、17日に行われた。叫びにも聞こえた弔事を読んだのは、市原さんの初主演映画『蕨野行』を撮影し、60年間にわたって親交があった恩地日出夫監督。
市原さんは、俳優座退団後の'74 年に出演した舞台『トロイアの女』で、紀伊國屋演劇賞を受賞。同作の演出家であった鈴木忠志氏は、製作当時をこう振り返る。
「まじめで一生懸命、とにかく情熱的で、難しいことでも真正面からやってくれる人で、すごく気持ちよかったです。俳優座のような大きな劇団で主役をやってもてはやされると、普通はイヤミが出てくるものなんですけど、それがまったくなかったですね」
骨折しても撮影続行
役作りにも力を惜しまなかった。'05 年に放送されたドラマ『やがて来る日のために』(フジテレビ系)でのこと。
「訪問看護師役だったんですが、市原さんはその時点で自転車に乗ったことがなかった。当時69歳だったのですが、役のために猛練習されたそうです。撮影するころには乗れるようになっていたのですが、自転車が楽しくなってプライベートでもたくさん乗っていたら、転倒して骨折。撮影は骨折したまま続行されました」(テレビ局関係者)
国民的人気アニメ『まんが日本昔ばなし』(TBS系)など、ナレーションに定評のあった市原さん。
「5年ほど前、あるCMのナレーション収録で、尺の問題で市原さんの語り部分を編集で少しだけカットすると、市原さんから“ここ詰めたでしょ。語りの呼吸がおかしい。これでは気に入らない”と指摘が入ったそうです。録り直しをしたところ、ぴったりに仕上げてくれたそうです」(広告代理店関係者)
通夜では、ゴダイゴのミッキー吉野が、戯曲『三文オペラ』の劇中歌『マック・ザ・ナイフ』をピアノで披露。
「大好きな塩見さんと会っているのでしょうか。ふたりの姿を思い浮かべながら演奏します」
亡くなる前日に見舞っていたという吉野が話すように、市原さんが仕事とともに、深い愛を持っていたのが、'14 年に亡くなった演出家で夫の塩見哲さんとの関係。
「よくおふたりで散歩に出かけていました。自宅から渋谷のほうまで歩いて、行きつけのレストランで食事をしてくる散歩だってお聞きしました。帰りはタクシーでしたけど、渋谷までは4kmくらいあったので、すごく足腰が強いですよね」(近所の住民)
夫婦愛は、仕事で忙しくなっても変わらなかったという。
「撮影で忙しいときでも、ほぼ毎日、夕方には旦那さんに電話されていましたよ。若いころからずっとそうだったと聞いています」(舞台関係者)
“家政婦”として、さまざまな場面を見てきた市原さん。共演者や親交のあった人たちは、彼女の仕事への愛、夫への愛を数多く目にしていた。