12月30日の『第61回 輝く!日本レコード大賞』の受賞者が11月に発表されているが、「特別音楽文化賞」なるものが新設され、7月に亡くなったジャニーズ事務所の元社長・ジャニー喜多川氏ヘ贈られることが発表された。

 この賞は、<音楽文化の発展に寄与し、日本レコード大賞へ多大な貢献をもたらした方に贈られる賞>(「レコード大賞」公式サイトより)で、ジャニー氏の功績は、まさにその賞にふさわしいというわけだ。

 レコード大賞はその名のとおり、その年を代表する歌手と楽曲に贈られるものだが、SMAPも嵐もKinKi Kidsも、1度もノミネートすらされていないことはよく知られている。

レコ大との距離の理由

 その理由を探ると、1990年にまでさかのぼる。ある音楽関係者が説明する。

「レコ大は1990年から3年間、『ポップス・ロック部門』と『演歌・歌謡曲部門』の2つに分けて大賞を決定していました。この3年間で、ポップス・ロック部門ではB.B.クィーンズの『おどるポンポコリン』や米米CLUBの『君がいるだけで』、演歌・歌謡曲部門では北島三郎『北の大地』、堀内孝雄『恋歌綴り』などが大賞を受賞しています。

 そんな'90年のレコード大賞のときに、当時活躍していたジャニーズのグループ・忍者が、美空ひばりの『お祭りマンボ』をカバーをして大ヒット。ジャニーズ側はレコ大の『演歌・歌謡曲部門』で受賞をさせたかったが、『ポップス・ロック部門』に振り分けられた。そこに激怒して、レコード大賞から距離をおくようになったそうです」

 ジャニー氏と姉のメリー氏の思惑がはずれたカタチとなり、それ以降しばらくの間、ジャニーズ事務所のアーティストがレコ大に関わることはなかったという。しかし、異例中の異例が起きたのは、2010年のこと。

「ジャニーズサイドが怒った場合、かなり長期間にわたることが多く、レコ大辞退は典型的な例ですよね。本来、ジャニーさんは名誉的なものが大好きですから、レコ大から距離をおいたときは驚きました。でも2010年、当時デビュー30周年だった近藤真彦が最優秀歌唱賞に選ばれたのは異例でした。事務所にとってマッチは別格というか、ジャニーズ内での基準がまた違うのかもしれません」(芸能記者)