「亡くなる3日前までは元気そうでしたよ。ご自宅は高台の上のほうにあるのですが、ふもとの道を歩いていました。最近は奥さんが運転する車で移動していて、めったに歩かない人だったから、ずいぶん回復されたんだなと思っていたのに。朝4時ごろ、救急車の音を聞いたときは、ひょっとしたらと思っていましたが……、本当に残念ですね」(近所に住む女性)
映画『仁義なき戦い』や数々のドラマで活躍した梅宮辰夫さん。12月12日の午前7時40分、慢性腎不全のために搬送された神奈川県内の病院で急死した。これまで6つのがんを経験、まさに壮絶な闘病人生。こわもての悪役から人情味豊かな男まで多彩に演じ、料理や釣り好きでも知られた豪快な男が突然、人生の幕を閉じた─。
14日に近親者のみで密葬が営まれ、後日、お別れの会が予定されている。
梅宮さんが東京・都心の豪邸を売却し、神奈川県真鶴町の別荘で暮らし始めたのは昨年の春。'16年に発覚したがんを治療するため、十二指腸と胆嚢を摘出した後だった。昨年10月、引退の噂が流れていた梅宮さんを週刊女性はこの自宅前で直撃。芸能界に復帰せず、ずっとここで暮らすつもりかを聞いた。
近所の評判と地域への貢献
「たぶん、そうなるでしょう。山城新伍も、渡瀬恒彦も、菅原文太も、僕の親友は全員、死んじゃった。仲間がいなくてヤル気も起きない。でも、いつか“いいね、こういった仕事を待っていたんだ”というのがあれば、やりますけど」
まだまだ目の奥には情熱を秘めた辰兄が、そこにはいた。近所での評判はすこぶるいい。
「誰に対しても気遣いをされる人でしたね。会うとよく声をかけていただきましたし、“ウチはじいさん、ばあさんだから、迷惑かけてない?”なんて言ってくるんです。都内の家を整理してこちらを自宅にしたときも、わざわざクッキーを持ってきてくれたんですよ。“こっちに移ってきましたよ”なんて、今さら何を言うんですかって感じでしたけど(笑)」(近所に住む男性)
こわもての役でならした若いころとは違い、最近では気配りを忘れない好々爺だった。
「芸能人っぽくない感じで、近所のおじいさんという感じでしたが、誰にも悪く言われない人でしたよ。植木屋さんは近所の人に頼むとか、春には地元の子どもたちに声をかけて、庭にある桜の木の下で花見をやるとか」(近所に住む別の男性)
地域への貢献も忘れなかった。近所に長年住んでいるという女性は、こんな話をする。
「2か月前に89歳で亡くなったウチのおじいさんと仲よくしていただきました。お互い車が好きで、どちらもベンツだったから、洗車しているときによく話しかけてくれていましたね。お互いに“まだ若いよ”なんて言い合っていましたよ。そんな2人が同じ時期に亡くなりましたが、きっと天国で車の話をしていると思います」
昨年3月、自身の生誕80年を祝う会の開演前、ホテルの入り口で転倒。額を30針縫う大ケガをしたが、いざ包帯姿で壇上に立つと「オペラ座の怪人だ」とジョークを飛ばし、役者根性を見せた。
「その2日後には店にいらしていたので、心配して声をかけたら“全然、大丈夫だよ”って平然と言うんです」
と思い出すのは地元にあるスーパーの店員。昭和のスターは弱みを見せなかった。
「買い物係は梅宮さんで、だいたいひとりでいらしていました。先週も見かけましたよ」
釣りが趣味の梅宮さんが、30年前から通うという鮮魚店も近所にある。その店主が振り返って、こう話す。
「梅宮さんのリクエストで売ることにした、サバとご飯を二重にした押し寿司を、いつも買って行かれました。人気メニューの『サバの南蛮漬け』は梅宮さんに試食していただき、OKをもらったので商品化したんです。よく真空パックのお肉を持って来て、それをいただいたのですが、ウチは魚屋で肉はないから、私たちの喜ぶ顔が見たかったみたい。いつも気がきく方でした」