かつて世間の注目を集めた有名人に、「あの騒動の真っ最中、何を思っていたか?」を語ってもらうインタビュー連載。当事者だから見えた景色、聞こえてきた声、そして当時言えなかった本音とは……。第3回は’67年から放送されたドラマ『コメットさん』(TBS系)の主演を務めた九重佑三子(ゆみこ)。意図せぬ芸能界デビューにもかかわらず、宇宙からやってきたお手伝いさんの役で一躍お茶の間の人気者に。かつてのアイドルが、多忙だった青春時代を振り返る──。

 

 宇宙から来たお手伝いさんが魔法を使って大騒ぎ──。こんな奇想天外な設定の大人気ドラマで主演を務めたのが九重佑三子(73)。

「’62年に『ダニー飯田とパラダイス・キング』の一員としてデビュー。翌年にはソロ活動も開始。歌手として活躍していた九重さんは、TBS系の『コメットさん』の可愛らしい演技で国民的人気を得ました」(テレビ誌ライター)

学生時代、坂本九さんの後ろでコーラス

 スターダムを駆け上がった彼女に当時のことを聞いた。

「デビューは16歳でした。高校で体操をやっていて、将来は体操の先生になろうと思っていたんです。姉の友達が後援会長だったパラダイス・キングの発表会を手伝ったときに、リーダーのダニー飯田さんに声をかけられたのが芸能界入りのきっかけです」

 もともと歌は大好きで、FEN(米軍向けラジオ)で英語のポップスを聴いていた。

「実家は書道教室をやっていたので両親ともに忙しくてね。うちは家事を手伝うと、よくお小遣いをもらえたの。そのお金でレコードを買ってました。エルビス・プレスリーやニール・セダカ、ポール・アンカとかが好きでしたね」

 その後、ダニー飯田にすすめられ、歌の練習を始める。

「学校帰りに制服のままジャズ喫茶に通って練習してました。3か月ほどしたら池袋のドラムっていうジャズ喫茶でセダカの『悲しきクラウン』を人前で1曲歌ったわ。坂本九さんがいる後ろでコーラスのまねごとでしたけどね。その1年後に『シェリー』でレコードデビューしたんです」

 その後ソロ活動を始めた九重だが、当時の芸能界は他事務所のタレントとの交流はタブーのため孤独を感じていた。

「ダニーさんも“芸能界の男と話したりしちゃだめだよ”って言ってたけど“でも田辺靖雄くんだけはいいかな”って。それで紹介してもらったのが最初の出会いでした」

 田辺は高校在学中に、遊び人グループ“六本木野獣会”を結成中にスカウトを受けた。

「’63年に梓みちよさんとデュエットした『ヘイ・ポーラ』がヒットしたころに出会ったね。それ以降、佑三子とはNHKの『夢であいましょう』やドラマでずっと共演。運命だったんだろうね」(田辺)