目次
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ー 当時のテレビの世界の勢いはケタ違い
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ー 圧倒的人気を集めた“トレンディドラマ”
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ー トレンディドラマに欠かせない音楽

 

 1990年代、視聴率は軒並み20%を超え、時代をリードしてきたトレンディドラマ。キラキラとした若者代表であった“トレンディ俳優”も今や還暦に。30年の時を重ねて円熟味を増す彼らの活躍とバブルに沸き立った懐かしの時代を振り返る。

 小さな顔と精悍なまなざし……少女マンガから抜け出てきたかのような完璧な容姿とクールな役でトレンディドラマの人気俳優として一躍有名となった風間トオルさんも、なんと今年で還暦! 若いころと変わらぬ輝きを放ち続けるその秘訣をインタビュー!

当時のテレビの世界の勢いはケタ違い

 日本がバブルに突入しようとするその直前に創刊された男性ファッション雑誌『メンズノンノ』のモデルで、阿部寛と人気を二分していた風間さん。その彼に目をつけ、ドラマに出ないかと誘ったのが、当時絶大なる人気を誇った浅野ゆう子さんだった。しかし、役者の道を考えていなかったとのことで、誘われても断り続けていたそう。

「テニスが共通の趣味で、よくご一緒させてもらった。お会いするたびに“俳優やろうよ”って言ってくださって。これも何かの縁かなと、チャレンジすることにしたんです」

 そして出演することになったのが、'89年に放送された『ハートに火をつけて!』(フジテレビ系)だったのだ。

「やってみますって言った、2週間後には撮影でしたから、演技なんてできるわけない。ゆう子さんは、“最初にセリフを聞いたときは気絶しそうになった”と言っていましたが……(笑)」

 目線が無意識にカメラを向いてしまいNGになったことも数知れず。

「ゆう子さんは、セリフの言い回しのアドバイスをくれましたね。かとうかず子さんも一緒にセリフ合わせをしてくれたり、共演者に助けてもらいました。役者はやっぱり無理かなと思っていたら、その後、浅野温子さん主演の月9『世界で一番君が好き!』にも出演させていただいた。これは本当にうれしかった。多少なりとも自分のどこかが評価されたわけですから」

 新人でありながらW浅野と共演を果たした。その当時ならではのエピソードを聞いてみると─。

「ロケ先でのランチもおしゃれなフランス料理のレストラン貸し切りで。好きなものを好きなだけ食べていいというんです。衣装もハイブランドが多くて、なんかいろいろ豪華でしたよ(笑)。テレビの勢いを実感しました」

 現場では年齢が近い俳優も多かったという当時。

1990年放送『世界で一番君が好き!』制作発表会にて
1990年放送『世界で一番君が好き!』制作発表会にて

「同じ作品に携わった皆さん、その後の動向は気になりますよ。役者としてどんな仕事をされているのか、お互いに頑張っているなあと、そんなふうに感じます」

 トレンディドラマを皮切りに、60歳の今日まで途切れることなく、露出し続けられる原動力は何なのか。

「負けず嫌いなんです。セリフがうまく言えなかったときも、頑張るしかないと居直る。映画『わが愛の譜 滝廉太郎物語』('93年)で滝廉太郎を演じたときは、1年間ピアノのレッスンを続けました。ピアノに触ったこともなかったので、ハードルの高い役でしたが、やるしかない。それにしても左右の手の指を別々に動かすのがあんなに難しいとはね(笑)」

 ドラマ、舞台、映画の数多くの作品に出演。現在は『科捜研の女2022』に出演中だ。さらに今年の7月から川崎市の『かわさき健幸福寿プロジェクト』の初代サポーターに就任。介護の問題にも取り組むなど、社会貢献にも活動の場を広げている。