「今は、俳優業とスウェーデンデザインをコンセプトとしたお店と猫のための社団法人で、活動は3分割くらいの割合なんです」
俳優とは、役を演じることでさまざまな顔を見せる職業だ。しかし、川上麻衣子は実生活でもいろいろな顔を持っている。芸能界での活動だけでなく、スウェーデン小物を販売するショップを経営したり、ガラスデザイナーの顔を持っていたり、はたまた、猫の保護活動に精を出したりもする。いろいろなことを器用にこなせる、生粋の俳優というイメージが彼女にはあるけれど、本人はそれを否定する。
俳優・川上麻衣子「芸能界だけっていうのは性に合わない」
「デビューが早くて、そのころは学業あっての芸能界だったし、芸能界だけっていうのはどうも性に合わない気がします。もともと、芸能界はあんまり合わないんですよね。なんか、居心地が悪いっていうのかな(笑)。そこにどっぷり浸かるというより、なにか軸みたいなものがどこかにないと不安なのかもしれないですね」
川上が意図してさまざまな顔を持つ理由のひとつに、名優からのアドバイスがあったらしい。
「一時期、三國連太郎さんと同じマネージャーだったんですけど、そのとき三國さんが『俳優は3年間で持ってるものを出し尽くしてしまう』というお話をされていたんです。だから、『3年たったら、また新しいものを蓄えないと俳優業は続けられない』って。芸能界で芝居を学ぶとか、踊りを習うということではなく、毎日、電車に乗って職場に通ったり、普通の生活をすることで見えてくるものはたくさんある。それが俳優業に生かされていくことが、私はいちばん理想だと思うんです」
多くの俳優は、彼女のような考えを持っていないと思う。これまでの半生で、彼女はさまざまなものを吸収し、そして蓄えてきていた。例えば、スウェーデンからの影響だ。
スウェーデンのストックホルムで生まれた川上は、1歳で帰国。その後、9歳になったころに再びスウェーデンで生活するようになった。インテリアデザイナーである母・玲子さんが2年間仕事をするために発ち、一人っ子である川上もそれについていったのだ。
「スウェーデンの学校って、生徒を子ども扱いしないんですね。だから、みんな机に乗っかって先生と対等にしゃべるし、授業がわからなかったら『ちょっと待って、わかんないよ!』って、そんな感じなんです。私も子どもだったからスウェーデンに順応しやすくて、母が言うには、スウェーデン語をしゃべるときの私の態度がひどかったみたいなんですね(笑)」
当時の娘の様子について、母・玲子さんが苦笑交じりに振り返ってくれた。
「スウェーデン語をしゃべりだすと、ポケットに手を突っ込んで大人顔負けの生意気な子になっちゃうんです(笑)。日本語もたどたどしい感じになってましたし、態度が日本人ではなくなったので、『このままでは日本で生活できなくなるかもしれない』と怖くなり、泣く泣くスウェーデンの滞在は1年で終えて日本に帰ってきました」
帰国してから、またしても川上の人生は急変する。まず、学校の授業にまったくついていけなくなった。
「スウェーデンにいたときは天才扱いされたんですよ。当時の日本の教育は世界的に見ても水準が高くて、九九を覚えていったので算数の先生より計算が早かったし、そんなふうにもてはやされていたけど、日本に帰ってきたら体育と音楽と美術以外は全部いちばん下くらいに落っこちちゃって(笑)。
ただ、当時の担任が音楽の先生で、ものすごく教育熱心な方だったんです。私は英語ができたので、学芸会でやる英語劇のミュージカル『メリー・ポピンズ』の主役に抜擢してくれて、そこで訓練してくださったのがきっかけで『人前でなにかすることが合ってるかもしれない』と思うようになったんです」