目次
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ー モノマネ芸人の原点は学生時代
Page 2
ー 「電波少年」の破天荒すぎる企画たち
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ー 高田文夫からの金言

 今シーズン18年ぶりにリーグ優勝を果たした阪神。優勝を記念して、お笑いタレントの松村邦洋は、自身のYouTubeチャンネルで“歴代の優勝監督になりすまして六甲おろしを熱唱する動画”を披露。生粋のファンとして祝福した。

 そんな松村は今年で芸能生活35周年。片岡鶴太郎にスカウトされたデビュー当時の話から、『進め!電波少年』や『オールナイトフジ』に出演したかつての芸能界のエピソード、そして35周年を迎えた今、胸のうちを聞いた。

モノマネ芸人の原点は学生時代

 モノマネのレパートリーは150以上あると言われる松村。芸能人だけでなく野球選手や政治家など、多岐にわたるモノマネが印象的だが、そのルーツは小学生の頃から芽生えていたという。

「芸能人とか野球選手とかジャンルでくくっていたわけではなくて、小さい頃からテレビで面白いと思った人をマネするのが好きだったんですよ。純粋な好奇心です。小学生の時は、大河ドラマ『花神』に出演していた中村梅之助さんとか、お笑いグループの『ザ・ハンダース』とか。

 中学生の頃からは、『金八先生』の武田鉄矢さんとか、欽ちゃんバンドの小西博之さんとか。喋り方もそうなんですけど、身振りとか踊りとかもマネしていたので、純粋に気になっていたんでしょうね。僕もどちらかというと、その人に似せたいというよりも『その人自身になりたい』という欲が強かったです。

 ちなみに野球だと、最初は甲子園の解説者のマネをしてたんです。当時、池西増夫さんという解説者がいましてね。鼻声のような高い声が耳に残ってたんです。なんというか演歌のようなコブシが軽く効いていて面白かったんですよ」

 幼少期から自然とモノマネをしていたという松村。それから高校に進み、次第にモノマネで芸能界に進みたいと志すようになる。

「高校生の頃は、軟式野球部だったので、めちゃくちゃ声を出すんですよ。『ばっちこ~い』とか、『サードこ~い』とか。サイレンみたいにコブシを聴かせて声出すじゃないですか。それがだんだん楽しくなってきちゃって、声がよく出るようなったんですよね。

 部活以外の時間では、世界史の先生のモノマネをよくやってたんです。その先生は声がでかいのに、イントネーションがおかしくてね。そしたら先生も機嫌が良くなって、『お前が代わりに授業しろ』って言われて、それでみんなの前で披露したらウケるもんだから気持ちよくなってね(笑)

 しかも高2の時、高校で留年しているんですよ。さすがに1年間も同じ先生のマネをずっとやっていると飽きられるものですが、留年したらまだ僕の芸を観てない後輩が入ってくる。そうするとまたウケる。劇場でいえば、昼の部と夜の部のダブルヘッダーで両方とも調子良い感覚です(笑)。いま思えば、その頃から芸人になりたい気持ちが強くなった気がしますね

 そして大学時代に、転機が訪れる。