阪神タイガース38年ぶりの日本一で幕を閉じた今年のプロ野球。岡田彰布監督が掲げた優勝を意味する「アレ」が流行語大賞にノミネートされるなど、盛り上がりを見せた。そんな阪神が初めて日本一に輝きファンが熱狂した1985年を振り返ってみると、これからバブル景気に突入するという活気にあふれた時代だった。どんなカルチャーが誕生し、流行していたのか、あらためて検証した。
テレビがなければ何も始まらなかった時代
38年ぶりに「アレのアレ」を果たした阪神タイガース。日本一に輝いた夜、大阪ミナミの戎橋はファンらであふれかえり、37人が道頓堀川に飛び込んだ。
印象的だったのは、メディアのインタビューに「'85年の初優勝を知らない」と答える若いファンらが多かったこと。それもそのはず、当時小学1年生だった人でも現在はすでに45歳。知らないファンがいるのも当然だ。
しかし、38年前の熱狂ぶりを鮮明に覚えているアラフィフ以上の年齢層からは、「なんかあのときのほうがもっと盛り上がってた気がするなぁ」との声がチラホラ。
その理由を、庶民文化研究家の町田忍さんは、「'85年はバブルの入り口で、日本がいちばん元気だった時代。経済が低迷して人々が不安を抱えている今とは、バックグラウンドがまったく異なるからでしょうね」と分析する。
「あのころはよかった」とみなが口にする'80年代半ばはいったいどんな時代だったのか。阪神優勝を機に振り返ってみた。
「とにかくテレビがなければ何も始まらなかった時代。今はテレビがない家庭も珍しくありませんが、当時は考えられませんでしたよね」(町田さん、以下同)
この年の関東地区の年間最高視聴率は、55.3%を記録したNHK連続テレビ小説『澪つくし』の最終回。沢口靖子主演、ジェームス三木脚本の朝ドラで、大正末期から戦後の銚子を舞台にした物語だった。
今年開催されたWBC決勝戦の平均世帯視聴率ですら42.4%であったことを考えると、いかに驚異的な数字であるかがわかる。
「テリー伊藤さんが総合演出を務めた伝説のお笑い番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)の放送開始もこの年。笑いの傾向が、少しずつ変化の兆しを見せてきたころです」