4月2日、宮内庁は日本赤十字社(以下、日赤)ご就職に際する愛子さまの文書を公表した。3月下旬の三重・奈良への訪問についても触れた愛子さまは、《行った先々で多くの方々に温かく迎えていただいたことに感激し、非常に印象深い訪問となったことを心から有り難く思いました》と振り返り、国民に感謝の意を示された。
雅子さまは完璧主義
しかし、ある宮内庁関係者は「この文書回答は2回も提出期限を破っていた」と声をひそめる。
「実は4月2日の“就職に際しての文書回答”で公表された計4問の回答は、3月20日の“卒業に際しての文書回答”と同時に、提出する予定だったのです。その後、もう一度、予定されていた期限に間に合わず、計2回も提出が遅れました」(同・宮内庁関係者)
文書の提出が遅れてしまった愛子さまに対して、「雅子さまも文書回答が遅れることがあった」と振り返るのは、象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院人文学研究科の河西秀哉准教授。
「雅子さまは完璧主義な点もあったと思います。それで“国民やメディアにどう受け止められるか”を気にされてしまい、お誕生日に際しての文書回答は推敲を重ね、誕生日当日には間に合うものの、遅くなってしまったこともあると聞きます」(河西准教授)
一方、『皇室の窓』(テレビ東京系)で放送作家を務めるつげのり子さんは、愛子さまの文書回答について、
「文字数が多いだけでなく、公のところでは“天皇、皇后両陛下”と書かれていましたが、結婚についてのプライベートな質問のところでは“両親”と言葉を変えるなど、細かい点にも配慮をし、考え抜かれていました。そうした気遣いも、時間がかかってしまわれた要因だと思います」
熱心に文書回答を熟考された愛子さま。そうした姿勢は、大学卒業時にも見受けられたようで、
「愛子さまの卒業論文を担当した教授が“授業の感想を提出する際も、締め切りの直前まで粘って考え抜いて、より良いものにしようという粘り強さが印象的”というようなお話をされていました。できる限り理想に近づけようとする意志の強さを持っていらっしゃるのだと思います」(つげさん)