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ー 気づけば、朝の挨拶が日課に

 ある料理、ある酒を口にするとき、将又(はたまた)、ある店であのメニューを頼むとき、ふと思い出してしまう人―。料理やお酒をきっかけに引き出されるあの日、あの人を描く。グルメじゃないけど、僕にとっての忘れられない味は……。

* * *

 サラリーマン生活が長かったので、物書きを生業(なりわい)にしてからも規則正しい生活を送ってしまう。必ず朝八時から道玄坂の仕事場で原稿を書き始めるのが日課で、近場のカフェでコーヒーを買って行くことが多い。

その道すがら「朝キャバいかがですか?」と首から『朝キャバ1時間2000円!』と明記されたプラカードをぶら下げた薄着の女性に必ず声をかけられる。

気づけば、朝の挨拶が日課に

 渋谷道玄坂近辺には、朝から営業しているキャバクラが何軒かある。学生時代、通学路で毎日立っている交通整理のおじさんと、だんだんと朝の挨拶をする関係になっていくように、いつしか「あー、おはようございます」などと、朝キャバの女の子たちと朝の挨拶をする関係になっていった。

 今朝も、コーヒーを買おうと道玄坂を歩いていると、「おはようございま~す。なんか疲れてない?」と朝キャバ嬢に声をかけられた。昨日、あまりに仕事が立て込んでいて、ほとんど眠れていなかった。さすが、毎日挨拶を交わしているだけのことはある。僕の寝不足を彼女は一発で言い当てた。

「ちょっと休んでいったほうがいいと思うの」

 彼女は強引に腕を組んできて、店まで連れて行こうとする。欲望にはすべて負けたいが、どうしても、とある原稿を書かないと間に合わない事情がこちらにはあった。

 が、煮詰まった状態で仕事に臨んでもいい結果はなかなか得られない。一度原稿から離れてみるのもいいだろう、という完璧な言い訳が頭の中で成り立ち、初めて朝キャバというものを味わうことにした。

 店内に入ってまず驚いたのが、結構お客さんがいるということだ。今朝は、ガタイのいい男たちのグループと、ホストっぽい若者グループ、そして、おじいさんがひとりというラインナップだった。

 僕の隣のソファー席では、おじいさんが若い薄着の女性とニコニコ話している。まるで縁側で話す孫と祖父のようだ。僕を店内まで引っ張ってきた彼女は、横に座って「やっとだね」とご満悦そうに、おしぼりを渡してきた。

「なぜ朝キャバで働いているの?」と聞いてみると、朝はノルマがなく、女の子同士の派閥などもないのでラクなのだという。午後からは一般職でも働いているらしい。

「真夜中に準備して、早朝過ぎる時間から働いているから、実際は夜勤だけどね」と彼女は笑った。

 僕も昔、テレビ業界で夜勤をやっていた時期があった。シフトは夜九時から朝方まで。一見過酷だが、クライアントも含めて夜勤をやる人間は限られていて、あっという間に顔見知りになり、どこか同志感が出てくる。

 テレビ業界は、基本的には厳格な縦社会なので、いつなんどきでもクライアントには最大限の敬語で接しないといけない暗黙のルールがある。だが夜勤の場合、顔を合わせる相手も限られるので、距離が異様に近くなり、「うっす!」とこちらが言って、「うっす!」で返してくれるような関係になることが多かった。