目次
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ー 同じ高校で出会ったパッパラー河合 ー 「絶対、優勝だね」と言われていたのに
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ー デーモン閣下とチェッカーズ ー 脱退するメンバーを見て『Runner』を書いた
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ー デビュー40周年のうち、26年間を休んで

 2024年にデビュー40年を迎えた『爆風スランプ』バンドの“顔”で、ボーカルのサンプラザ中野くんが自身の幼少期を振り返る。

同じ高校で出会ったパッパラー河合

「小学生のころは『ひょっこりひょうたん島』や『巨人の星』といったテレビ番組の主題歌が好きでした。小学1年生のときにオルガンを習ったけど、3歳のときにポリオ(小児まひ)を発症してから、ずっと右半身がうまく動かないのでやめました。そのころ『帰って来たヨッパライ』が発売されて、ポップスに目覚めました」

 ギター担当のパッパラー河合とは、同じ高校の美術部で出会った。

「高校は千葉県の進学校で、河合は学年で2位の成績でしたが、腸閉塞(ちょうへいそく)を起こしたせいで勉強をしなくなり、卒業時は下から2番目に(笑)」

 河合は高校時代にギターを始めてロックに夢中になり、卒業後もバンド活動を続けていた。

「河合は『スーパースランプ』というバンドに入っていて、そのライブを見に行ったら、俺も感激して。演劇要素の強いオリジナル曲を演奏していたバンドで、俺は“ミミズの衣装が似合う背が高い人を探している”ということで、翌日にはバンドに入れてもらいました。そこで初めて『ミミズのラブソング』という曲の歌詞を書きました」

 中野くんがバンドに加入した翌月にはバンドコンテストに出場。ヤマハが主催で、デビュー前の『カシオペア』や『サザンオールスターズ』が出場したロックの登竜門『イースト・ウエスト』

 バンドは決勝大会に進み、会場は『中野サンプラザ』だった。

河合らと盛り上がって“俺たち才能あるから、プロを目指そう!”となって。だけど、週に1回2時間くらいしか練習しなくて(笑)。それでも、翌年は準グランプリをとりました」

「絶対、優勝だね」と言われていたのに

 コンテストで結果を出したほかのバンドは次々デビューしたが、彼らには声がかからない。ガッカリしていたら、ヤマハ会長の川上源一氏が気に入ってくれて、世界歌謡祭に出ることに。

 会場は日本武道館。スタッフからは「君たちは会長の肝いりだから絶対優勝だね」と言われていた。結果は『完全無欠のロックンローラー』を歌った『アラジン』がグランプリに。

「もう打ちひしがれて……」

 という中野くんだったが、ある日、同じコンテストに出場していた『爆風銃(バップガン)』ドラム担当のファンキー末吉と河合が、何やらヒソヒソ話をしているのを目撃。どうやら一緒にバンドをやらないかと話している。それで、すかさず「俺も入れてくれ!」と頼み込んだ。

 こうして、爆風銃ベース担当の江川ほーじんを入れて、2つのバンドが合体した4人組バンド『爆風スランプ』が生まれた。