「日本スケート連盟と選手サイドの確執はなにも羽生(結弦)クンだけの話じゃないんです。ずっと昔から、両者間で強化方針や海外遠征、マスコミ対応などをめぐって意見が対立し、ゴタゴタを繰り広げてきた過去があります。2歳からぜんそくの発作を抱える羽生クンの母・由美さんが連盟に強い不信感を抱き、深い溝が生じてしまった背景にも、昔から脈々と続く、連盟の強化部門側の“強権発動”が見え隠れします」(スポーツ紙デスク)
‘14 –‘15 シーズンのフィナーレを飾るフィギュアスケート世界選手権で、ファンを魅了した日本選手陣。浅田真央が不在の女子にあっては、新エース・宮原知子がロシア勢に割って入り2位、男子も前回王者の羽生結弦が惜しくも連覇は逃したが、レベルの高い演技で銀メダルを獲得した。
「羽生の状態を確認できたのは、3月27日のサブリンクの最終調整でした。転倒や回転不足などのミスはあったものの、“自慢の4回転トゥループを重点的に練習している”と、現地の記者から報告を受け、安堵したものでした」(前出・スポーツ紙デスク)
大会本番直前まで、国内で調整を続けた羽生結弦の様子は、ほとんど報道されることがなかった。
「羽生サイドの“鉄のカーテン”は、マスコミ対策だけじゃないんです。連盟側でさえも覗くことはできず、昨年末の腹部の手術、年明けの練習で痛めた右足首の状態を正確に把握していない状況が続いていたんです」(前出・デスク)
彼の母・由美さんが、ぜんそくという持病を抱える息子の海外遠征で、“ドクターはいますから”と同行を拒否されるばかりか、大会会場に入れる関係者パスを支給されなかったなど、連盟サイドの無理解と対立しながらも、ソチ五輪金メダルを目指す息子のために続けてきた(既報)。
だが、こうした連盟側の理不尽な対応は、なにも羽生結弦ばかりではなかった。
「有名な話が、’92 年の仏アルベール五輪の銀メダリスト・伊藤みどりさんと連盟の対立でしょう。’89 年のパリ世界選手権では、女子シングルで世界初となるトリプルアクセルを成功させて優勝しましたが、そこまで育てたのは連盟ではなく、母親代わりだった山田満知子コーチでした。それこそ、ゆづママのような存在で、連盟と激しくぶつかりました」(スポーツライター)
山田コーチといえば、あの浅田真央や村上佳菜子も育てた名伯楽。ただ、伊藤と出会ったころは、名古屋の設備が整わないリンクで教えるひとりの指導者にすぎなかった。
「彼女はスケート競技者としての経歴も平凡だったため、連盟サイドは小学生時代から将来を嘱望された伊藤の育成をやりたがった。当時の伊藤の家庭は、経済的に恵まれているとはいえず、10歳のころには山田コーチの自宅で同居していたこともあるほど、実際の親子のような強い絆で結ばれていたんです」(前出のライター)
それから30年近い時を経て、山田コーチは沈黙を破る。今年2月発売のスポーツ誌で、当時の壮絶な舞台裏を語っているのだ。
《「みどりを名古屋から離そう、東京へ呼ぼうという話は、小学生のころからありました。(中略)もし、スケーターとしてうまくいかなかったら? あの子は見捨てられてしまうかもしれない。そうなったら誰が責任を取ってくれるのか。みどりは犬や猫ではありません。人間なんですよ。私は親として、申し出を断りました」(中略)すると、連盟の担当者は、10代の伊藤にこんな脅し文句で迫ったという。「そんなに反抗するなら、試合に出さない」泣きじゃくる伊藤を前に、山田コーチも怒りが込み上げる。「思い出すと今でも泣けてくるんだけど、いくらなんでも、子供相手にひどすぎるでしょう」》(『Number』’15 年3月5日号)