自分の意見をいうと叩かれる。こんなことは、まず海外ではあり得ない。まして今回つるのさんは、賛成あるいは反対という意見を述べたのではなく、あくまでも、どちらの意見も聞いてみたいと発言しただけ。それにも関わらず、芸能人が少しでも社会派的な発言をすると、すぐさま批判の的になってしまう。
私は過去にアメリカに住んでいたんだけど、海外のタレントさんたちは、自らの支持政党を表明したり、社会的な発言を堂々としていますよ。それは同時に、政治にたいして参加する権利と義務があるということの意思表示でもあるの。だけど、日本ではそんなことはできない。なぜなら、人口自体も発言する人も絶対数が少ないから。
そうすると、ファンを失うことが怖くなって、どうしても万人受けを狙わざるを得なくなる。ファンを失えば、スポンサーもつかないわけだから。日本では、タレントさんはもちろん、キャスターの人でさえも、差障りのないコメントしか出せなくなっているし、さらにはメディアの番組作りも、万人受けするものに向かいがちになっているよね。つまり、ほとんどの番組が、色がつくのを恐れてしまっているんだよ。
一方、たとえばアメリカは絶対数が多い。たとえ国内でファンを失っても、他の英語圏で賛同者が出てくる可能性もある。だから日本のように、ファンを失う危険性を考慮して社会的発言を控える、という考え方にはならないの。それどころか、同性婚や、中絶、動物愛護などのテーマは好感度を得るために積極的に活動する著名人もいるくらいです。
3.11以降、芸能人の社会的なコメントが増えたけど……
万人受けを狙うがため、日本のメディアはニュートラルな立場を謳っているけど、そもそもニュートラルな立場なんてあり得ない。ニュートラルな人間なんて、この世には存在しないんだから。新聞という場では、たとえば朝日と産経が相反する構図をとっているけど、テレビにおいても、そういう構図がもっとあってもいいんじゃないかと思う。
その点、海外ではジャンルごとにオンデマンド化されているから、テレビ局自体が支持政党を明確に持つこともできるんだよね。日本のテレビもオンデマンド化すれば、中立ぶって万人受けを狙い過ぎたり、自由な表現や色をついたものを許さないといった問題点を、多少は解消できるんじゃないかな。それにはまだまだ時間がかかりそうだけど。
それでも、3・11以降、日本においても社会的なコメントを出す人が増えたよね。アーティストやお笑い芸人さんたちが、自分なりに思っていることを発言したり。だけど今回、つるのさんは叩かれた。議論をする以前に、意見を言っただけで頭ごなしに叩かれたわけ。日本人には、相手の意見を尊重するという姿勢が足りないよ。ディベートの教育がきちんとなされていないということが、その一因なのかもしれない。
ディベートの目的は相手を論破することではなく、自分と違う多様な意見に触れ、その意見を尊重すること。宗教や主義、思想は一人一人、それぞれに異なるんだから、相互理解のためには、ディベートはなくてはならないもの。ディベートができないんじゃ、国際社会ではやっていけないよ。本来、自分の意見を言うという行為は尊重されるべきものだし、まして、日本では顔や名前を出して公の場で意見を言うというのはすごく勇気がいること。敬意を評すべきことだと、私は思う。
《構成・文/岸沙織》