【好評連載・フィフィ姐さんの言いたい放題】9月17日、国会前の安保反対デモにて、“戦争は文化ではない”というフレーズと共に反戦スピーチを行った石田純一。後日、自身が出演するテレビ番組やCMなどの関係各社・所属事務所から注意を受けていたという。番組制作を取り巻く環境を含め、社会全体にはびこる“苦情を恐れる”風潮について、フィフィは危惧する。
あくまでも判断すべきは、発言内容
一般的に、芸能人が圧力を受けたり干されるのは、番組内で刺激的な発言をした場合が多いですよね。今回のように、デモに参加しスピーチを行ったことが原因で圧力を受けるというのは、珍しいことです。
今まで石田さんには、政治的発言を積極的にするイメージがなかったこともあって、注意を受けたのかもしれませんが、今後も信念を持ち発言を続けていくならば、政治的な発言を必要とする番組からのオファーもあると思いますよ。
だからと言って、”芸能人”という立場で、デモに参加したり政治的発言をしたりするだけで、“勇気がある”“正義だ”と世間が騒ぎ立てるのは間違っています。あくまでも重要なのは、その発言内容。いくら行動を起こしても、その発言内容に疑問があれば、必ずしも支持する必要はありません。
私自身も意識していることなのですが、発言をする側は、その内容の如何によっては仕事を失いかねないのだという覚悟を常に持つ必要があります。日本という社会では、芸能人の立場で政治に対して意思表示をすることはリスクを伴います。だけど、それをわかったうえで、しっかりとした内容の発言を続けていけば、圧力がかかってくる反面、賛同者も現れてきます。続けていくことが大事です。
番組制作側は、数字よりも責任回避を優先
日本のメディア、とくにテレビは“色がつく”ことを極端に嫌いますよね。
本当に数字をとりたいのであれば、もっと違う方法はいくらでもあるのに、当たり障りのない(あるいはそう求められた)芸能人たちを出演させ、無難な番組ばかりを作っている。要するに番組制作側は、責任を取りたくないの。
人の顔色を伺いながらの番組制作。この背景には、クレーマーの存在があります。
今や、あらゆるところから苦情が飛んできます。そうした苦情によって生じる色々な”大人の事情”を配慮し、その責任を取りたくないとなると、番組制作側の姿勢は、数字よりも苦情回避が第一ということになるわけです。だけど、こうした番組作りばかりをやっていたら、ネットがある今、テレビが人を惹きつけることは無理ですよね。
この“苦情を恐れる”風潮は、テレビのみならず、社会のあらゆる場面で遭遇します。学校教育もそのひとつ。親からの苦情がこないように、運動会で順位をつけるのはやめましょう、お遊戯で主役をつくるのはやめましょう、といったことになってしまうわけ。
いずれにせよ、そもそもテレビとは、情報発信できる大衆向けのツール、日本では最大のメディアでしょ。そのメディアが、苦情を恐れるあまり、面白さの追求を諦めるなんてもったいない。
石田さんも含め、圧力をかけられた・干された芸能人が集まった番組を観てみたいですよね。私自身も出演者としては最適だと思いますけど(笑い)。
《構成・文/岸沙織》