1月30日に大関・琴奨菊の結婚披露宴が都内のホテルで行われた。白鵬をはじめ、3横綱を破り賜杯を手にしたチャンピオンは満面の笑みで喜びを爆発させたのだった。
「まさか、自分の誕生日と結婚式と、幕内優勝が全部重なるとは思いませんでした。師匠には感謝の気持ちしかありません。(妻のドレス姿を見て)惚れてまうやろ~って感じですかね」
最後の日本人横綱となっている元若乃花の花田虎上氏も、喜びを隠さない。
「琴奨菊の優勝が、相撲界の新たな人気の起爆剤となるでしょう。優勝おめでとう!」
今場所は昨年7月に入籍した祐未夫人との披露宴が控えていた。そんな場所での初優勝、男を上げるとはまさにこのことだろう。
「祐未さんとは3年ほど前から交際がスタートし、'14年秋にプロポーズ。自分で6枚つづりの絵本を作って、最後のページに婚約指輪を仕込んでいた。彼女は涙してOKしたそうです。祐未さんは学習院大卒で英語、スウェーデン語など4か国語を話す才女。一昨年までエルメス・ジャポンに勤務していたそうです」(スポーツ紙記者)
土俵でも私生活でもまさに“金星”を挙げた琴奨菊。そんな彼が生まれ育ったのが、福岡県柳川市だ。市内には、今も琴奨菊の生家がある。彼のエピソードを聞こうと実家を訪れると、両親が喜んで迎え入れてくれた。
夫婦そろって国技館で優勝に立ち会ったふたり。だが、千秋楽の豪栄道を突き落としで破った瞬間は土俵を見られなかったと、父の菊次一典さんは話す。
「私は怖くて土俵を見られなかったですね。でも、国技館全体のあの熱い声援を聞いたら、どうにかして勝たせてくれんだろうかと、祈るような気持ちでした」
その話を聞きながら、母である美恵子さんも、こう隣で笑顔をのぞかせる。
「せっかく見に行ったのに、私も見れんかったですね」
3兄弟の末っ子として生まれた琴奨菊。ケンカもせず、おとなしく優しい子だった。
「一弘(琴奨菊の本名)は母親思いの子でね。甘えたところはなかったけど、お年玉をもらったら、“お母さん洋服買いに行こうか”とかね。小学校4、5年生だから高いのじゃないですけど、その気持ちがうれしいんですよ。母親に対しては、特別な思いがあったみたいですね」(一典さん)
そのときの気持ちを美恵子さんに聞くと、懐かしそうに振り返る。
「そうですね、安い、普段着の服ですよ。それでも、とてもうれしかったんですよね」
本格的に相撲を目指すことになったのは、小学校4年生のとき。地元のわんぱく相撲大会で優勝したことだ。
「柔道を1年生からしていたんですが、柔道から相撲に変えたのは、そこで優勝したことからですね。それから、久留米の相撲道場にじいちゃんが送り迎えをして、通わせたんです」(一典さん)
自宅から車で片道約1時間の道のり。週3回の稽古を祖父に連れられ、一弘少年は相撲に打ち込んだ。彼が通った井上相撲道場の井上昌光さんは当時を懐かしむ。
「入門したときは、下半身が大きくしっかりしているという印象でした。荒削りでしたが、とにかく稽古はまじめ。自宅に帰ってからも練習していたくらいですから。このころからもう、“相撲取りになる”って言っていましたよ」