土俵でも私生活でもまさに“金星”を挙げた琴奨菊。そんな彼が生まれ育ったのが、福岡県柳川市だ。市内には、今も琴奨菊の生家がある。彼のエピソードを聞こうと実家を訪れると、両親が喜んで迎え入れてくれた。
小学6年生になり、琴奨菊は相撲の名門である高知県の明徳義塾中学校に入学することを決める。地元に相撲ができる環境がなかったため、当初は熊本県にある中学校に、祖父母と引っ越して住む予定だったというが……。
「県の相撲連盟の方が“本気で相撲をしたいならいい学校がある”ということで、明徳を紹介してもらったんです。本人と学校を見に行ったんですけど、帰りには“ここに行くから”って、一弘が自分で決めたんです。
でも、優しい子なんで、本心は家族に迷惑をかけんため、寮生活の明徳を選んだと思うんですよ。それを12歳の子どもが自分から、親元から離れて行くことを決めたんです。親としてはいろいろな思いがありました」(一典さん)
厳しい寮生活でも弱音は1度も吐かなかったという琴奨菊。だが、美恵子さんは母としての当時の苦しい胸の内を明かしてくれた。
「うちは3人とも男の子でしょ。私には女の子がいなかったので、その役目をしてくれたのが一弘だと思っていたんですよね。でも、明徳へ行ってしまって……。中学生になった同級生が自転車で家の前を通るでしょ。
それを見ては泣いていましたね。でも、明徳に行く前にお友達を集めた最後のお別れ会で挨拶したとき、“自分を応援してくれる人のために頑張る”って話したんです。あの子はその気持ちをずーっと持ち続けているんだと思います」
そんな琴奨菊と同じ年のライバルが高知県出身の豊ノ島だ。国体では同じチームで出場するなど、小学生のころから鍛え合った親友なのだ。
「家族ぐるみで付き合っているんですよ。大樹(豊ノ島の本名)のお父さん、お母さんにもかわいがっていただいてね。優勝が騒がれだした13日目に、まさか当たるとは思わんかった。
だから、大樹に“今回だけは一弘に負けてくれんかな”って正直思いましたよ。知っとるだけに、そういう思いが強いんですよ。でも、大樹は本当のスポーツマンだったですね。真のライバルはこういうものだって、教えてくれました」(一典さん)
結果は、豊ノ島にとったりで敗れる。これが、場所で唯一の黒星になった。
「一弘は迷っていたんですよ。豊ノ島戦前の夜中12時50分にメールが来たんです。《幕内で優勝争いをして、ドキドキを越して不気味だ。でも、お父さんやるよ》って。こういうことは今までになかったんです。本人は寝られんかってんですよ。
だから、《豊ノ島は変化しないから、思い切って当たっていけば勝てるから》って送ったんです。次の日の朝早くに、《分かった。頑張る》ってメールが来たんですよ。やはり、意識していたんです。豊ノ島には序二段か三段目のときに負けて優勝できなかったことがあるんですよ。そういう思いがよぎったんじゃないですかね」(一典さん)