芸能 2021/4/10 生島ヒロシ「生涯現役でいたい」故郷・気仙沼が被災した直後も貫いた“朝の声” 生島ヒロシラジオ東日本大震災津波アナウンサー人間ドキュメント 『週刊女性』編集部 印刷 [写真 1/13枚目] 生島ヒロシ 撮影/伊藤和幸 [写真 2/13枚目] 米国留学時代。空手ショーのバイトで下積み中のショー・コスギ(左端)と共演した生島(右端) [写真 3/13枚目] ナレーション収録の際、スタジオにてスタッフとの打ち合わせを真剣な表情で行う生島 撮影/伊藤和幸 [写真 4/13枚目] TBSアナウンサーとして活躍していた当時 [写真 5/13枚目] のどを守るため、予防策は徹底して行う 撮影/伊藤和幸 [写真 6/13枚目] 実家の「伊勢浜食堂」前にて(左から友人、26歳の生島、祖母&三男、次男) [写真 7/13枚目] 生島の母・美知子さんと震災で亡くした妹の喜代美さん、ご友人・齋藤洋子さん(後ろ) [写真 8/13枚目] 生島ヒロシ [写真 9/13枚目] 最近、息子の勇輝さん(左)、翔さん(右)には、「自分の人生、好きにやりなさい」と伝えているという [写真 10/13枚目] 官房長官時代の菅義偉と会食時に。「最近は忙しそうだから連絡は控えています」と生島 [写真 11/13枚目] 「食事は1日2回。夫婦ともに甘いものが大好きで、キッチンによく隠しておくんだけど、シュークリームを妻に食べられて大ゲンカしましたね(笑)」と生島 [写真 12/13枚目] 母・美知子さんの「大丈夫、大丈夫」という口癖は生島家で受け継がれている [写真 13/13枚目] 「震災直後も、リスナーからの手紙に助けられた。いつも朝の元気をいただいていますよ」と生島。生涯現役を目指すと意気込む この写真の記事へ戻る