「ずっとヒーローものをやりたかったんです。『HERO』という作品には出ていましたけど(笑)」
ドラマ『HERO』で演じた寡黙なマスター役で注目を集め、朝ドラ『べっぴんさん』など数多くのドラマや映画に出演する名バイプレーヤー・田中要次が、『蟲毒(こどく) ミートボールマシン』で映画初主演!
「実際に現場に入ったら必要以上に血しぶきを浴びる作品でした(笑)。スプラッター映画と言われるけど、血の量も度を超えると笑えるので、コメディーの要素もありますね」
現在は俳優の枠を超え、さまざまなジャンルで活躍中。そんな彼の人生を振り返ってみると、ドラマさながらのエピソードに事欠かない。
高校を卒業後、国鉄長野鉄道管理局に就職。’87年、国鉄の民営化に伴い、JR東海の社員に。勤務先が名古屋に近くなったことで人生が大きく動き始める。
「名古屋の映画館で(伝説的自主映画作家の)山川直人監督の作品に出会い、衝撃を受けましたね。日本にこんなすごい作品を撮る人がいるんだって。山川監督の『SO WHAT』はロック好きの田舎の高校生たちの青春群像劇なんですが、僕とリンクする部分も多くてどんどんスクリーンにのめり込むようになったんです。
そして山川監督の夫人の活動を手伝ったことがキッカケで監督とも親交を深めるようになって。監督が音楽系のショートムービーを撮るときに、バンドをやっていた僕に声をかけてくれて出演したんです」
憧れの監督のオファーで役者デビューを飾ったが、本格的に演技の世界に飛び込むまで1年ほど悩んだそう。
「親にも反対されたし、会社を辞めて食っていけるのかって不安もありました。当時はバブルだったから、どうにかなると思っていたけど、もうひとつ理由がないと辞められない気がして」
もう1度オファーがあれば会社を辞めるつもりでいたが、なかなか声がかからず悶々とした日々が続いた。
「そんなときに運転する車で追突事故を起こしてしまったんです。それでこのまま仕事を続けていたらよくない方向に進みそうな気がして、辞める決心がつきました」
ようやく役者として一歩踏み出すも、そう甘い世界ではなかった。
「最初の出会いが意外と簡単だったので、勘違いしている部分はありましたね。山川監督の現場では自由演技の演出だったので、これならやっていけるかもって思っていたけど、やっぱり台詞は覚えないといけないし(笑)。でもその勘違いがなければ、怖くてこの世界に入ることはなかったかも」
役者だけで生活することができないため、現場で照明や録音の仕事も。
「最初は軽いバイトのつもりだったけど、3年もやっちゃったから役者というよりスタッフでした(笑)。でも裏方の仕事を極めようとは思わなかった。作品に出たときの興奮が忘れられなかったので照明機材を持ちながら芝居を見ていましたね。よく技師から“お前は芝居を見なくていいんだ!”って怒られていましたけど(笑)」