「若いころは町のことなど考えもしなかった」
地震後、人とのつながりが強くなり、それによって自分も精神的に助けられたと語る人は多い。『御船窯』を主宰する陶芸家・津金日人詩(つがね・ひとし)さんもそうだ。地震で、津金さんが作っている焼き締め(釉薬=ゆうやく=をかけずに高温で焼成する陶器)用の穴窯は全壊した。自身で作り、16年苦楽をともにしてきた窯だった。
「途方に暮れました。どうしたらいいかわからず、不安だけが募る日々でした」
展示室の陶器も8割方、割れ、すぐに仕事を始める気にはなれなかった。
「カルチャーセンターで陶芸を教えている関係で、観光協会の副会長をしているんです。町の職員だけでは手が回らないから、避難所の世話をしたり仲間と50張りのテント村を作ったりしました。怖くて家では寝られない人や、ペットを避難所に連れていけない人が多かったんです」
いま思えば、自分は被災者然としたくなかったから、そうやって人の世話を焼いていたのかもしれない、と津金さんはつぶやいた。ボランティア団体などとつながりをもつことで、町への見方も変わったという。
「若いころは町のことなどほとんど考えもしなかった。でも年とともに自分が生まれ育ったこの町への愛着が出てきて、地震後はさらにその気持ちが強くなりました。農業がメインの町だけど、自然が豊かだから観光スポットもある。陶芸はもちろん、銅板で折り紙を折ったりお茶のブレンドなどさまざまな体験ができる町なんです。町のためにもっと何かできたらと思います」
地元がもっと活性化するよう津金さんは心を砕く。そして彼の窯は、昨年秋、陶芸仲間や地域の人が集まって、1か月がかりで作り直した。
展示室の裏山を数十メートル登ったところにその窯はある。全長6メートルの煉瓦造り。穴窯は薪をくべて焼成するのだが、その薪を準備するにも大変な時間と手間と労力がかかる。
12月には初窯を焚いた。
「窯詰め5日、窯焚き5日。その間、仲間と交代で仮眠をとりながらの作業です。初窯はうれしかったけど、以前は出ていた“あかね色”が出ないんですよ。それが出せるようになるまで、どのくらいの期間が必要なのか……」
そう不安をのぞかせたが、新しい窯とともに作品を作りながら、これからも町を盛り上げていきたいと津金さんは最後にやはり笑顔を見せた。