パン、ソフト麺、脱脂粉乳の時代
「再開は敗戦翌年です。アメリカ在住の日系人記者・浅野七之助の働きかけにより、アメリカのボランティア団体から脱脂粉乳、缶詰、小麦粉、洋服などが届きました。この『ララ物資』によって、学校給食を再開することができました」
戦後数年で、学校給食は爆発的に全国に普及。1954年には学校給食法が制定され、法的な体制も整った。
「当時の学校給食の主食はすべてパン。戦後、アメリカから大量に安く入ってきた小麦粉はすべて強力粉だったので、作れるのはパンだったんです」
当時、ほとんどの農家は米を作っていたため、うどんの原料となる薄力粉や中力粉を作る農家は少なかったという。
「でも毎日、パン食じゃ飽きちゃう(笑)。1965年、学校給食用に強力粉から作る麺が開発、採用されました。ご存じ、ソフト麺です」
とは、東京都学校給食麺協同組合の理事。脱脂粉乳から牛乳へ切り替わっていったのも、このころ。
「ご飯給食の始まりは意外と遅く、昭和51(1976)年です」(大澤館長)
国がすべての米を生産者から買い入れ、管理していた当時の米は高価だった。大澤館長によれば、
「学校給食用の米は35%も値引きされていました。値引きなしの自主流通米に切り替わったのは2000年です」
2005年には、栄養教諭制度がスタート。そして、’09年には、1954年の制定以来、初めて学校給食法が改正された。
「給食を教育の一環としてとらえるようになり、地元食材の採用など、メニューや形式に広がりが。また、食育の授業も行われるようになりました」(大澤館長)
こうした変遷を経て、給食は学校に定着していったのだ。