子どものころは偉大な役者である“平さんの息子”“佐久間の息子”と言われることを嫌い、高校からアメリカに留学している。そしてブラウン大学の卒業式でのエピソードを懐かしむように語る。
ドラマのような、離婚後のふたりの再会
「母が学費を全部出してくれたので母を卒業式に呼ぶのは当然なんですけど、1000歩譲ってもらって、僕の卒業式なので僕が来てほしい人を呼ぶということで、オヤジを呼んだんです。
でも、これがアメリカに来る前に母にバレまして(笑)。“私が育てたのに、いいところだけ持っていって”とムッとしていたんですが、妹やおばさんなどがなだめてくれて、何とかアメリカに来てもらいました」
そこで、離婚した父と母を会わせないよう、岳大は細心の注意を払ったのだが……。
「ある日、母が買い物に行きたいって言うので、僕が車を出してボストンの街にあるショッピングモールに買い物にいったんです。午後5時くらいだったんですけど、母が買い物袋を持ってお店を出てきたときに、ふとエレベーターから日本人の男性が降りてきたのが見えたんです。
それも、ちょっと顔が大きく威圧感がある人で、“ちょっと待て、そんな偶然ないよな”と思いつつ、“あ、このモールの上のホテルにオヤジが泊まっていたな”ということを思い出した瞬間、もうオヤジが隣に立っていたんですよ。
でも、母はこっちから歩いてきて、本当にドラマみたいにばったり目の前でふたりが会っちゃって。僕は浮気がバレた人みたいに小さくなってましたよ(笑)。それが、離婚後初めて、ふたりが再会した瞬間だったんです」
卒業式当日は、佐久間と並んで出席したという岳大。その息子の晴れ姿を平さんはこっそりと見ていたという。
父であり偉大な役者である“平幹二朗”は、どんな存在であったのか聞いてみると、
「(……しばらく無言で考えて)自分を守ってくれる殻であり、自分が抜け出したい殻であり、抜け出したくない殻であり、自分が同一化している殻なんだと思います。
それがなくなって、正直、初めて大人になったような気がしています。43歳になって恥ずかしいですが、本当に殻がなくなったなという気持ちは強いですね」
そう話し、寂しげな表情を浮かべたのだった─。