20世紀最後の日。悪夢の始まり
2000年、12月31日。
事件発覚の日、入江さん一家と母親は、いつもと変わらぬ朝を迎えていた。
「帰国したばかりの夫が、和食が食べたいと言うので、鮭を焼いたのを覚えています」
この年の春、息子が私立中学に入学したため、8年間のイギリス生活をいったん終え、入江さんは息子と帰国していた。年末を迎え、単身赴任中の夫も帰国し、昨夜は2家族で夕食のテーブルを囲んだばかりだった。
「いつもと違ったのは、早起きの、にいなちゃんと礼くんが、なかなか起きてこなかったことです。大みそかで朝寝坊かな、と気にもとめませんでしたが」
時刻は10時を回っていた。
待ちきれないように腰を上げたのは、母親だった。泰子さんとおせち料理を作ることになっていたため、「起こしてくる」と隣家に向かった。両家は、二世帯住宅といっても、玄関が別々だった。
「だから、母が第一発見者になってしまったんです」
10分もしないうちに、血相を変えて戻ってきた母親は、震える声で叫んだ。
「隣が、泰子たちが、殺されちゃってるみたい──」
ただならぬ様子に、入江さん一家は、隣家に急いだ。
「殺されたって、まさか──」
半信半疑で玄関に入った瞬間、全身が凍りついた。
目に飛び込んできたのは、異様な光景だった。
「衣類や書類が散乱し、家じゅうが荒らされていました」
山積みの衣類の下から、みきおさんのものと思える白い足が見えた。
弾かれたように中に入ろうとする入江さんを、夫が鋭い声で止めた。
「見るな! 触るな! 戻るんだ!」
悪夢の始まりだった。
「妹一家が殺されたと知ったのは、警察の事情聴取を受けているときでした。このとき、母の頬に血がついていることに気づいて。第一発見者の母は、たったひとりで家中を回り、4人の亡骸を抱きあげていたんだと胸が詰まりました」
犯行時間は30日午後11時から翌日の未明にかけて。
犯人は宮澤さん一家を殺害後、現場に長時間とどまり、現金を強奪して逃亡した。
現場には、犯人の指紋、衣類、血液など、多数の証拠が残され、逮捕は時間の問題だと思われた。
だが、予想に反して、捜査は難航した。
「どんな小さな情報でも、思い出してください」
警察は殺気立ち、入江さん一家は、朝から晩まで、人を疑う作業を続けた。
「それこそ、寝食を忘れて、捜査に協力しました。絶対に、犯人を逮捕する。怒りに突き動かされるように」
葬儀の席では、同情の声が上がる一方、「家の前を通るのも恐ろしい」「犯人と違う血液型でよかったわね」だのと、心ない言葉を浴びた。
過熱したマスコミの、根も葉もない報道にも愕然とした。
「身も心も限界でした」
入江さん一家と母親が、逃げるように世田谷の地を離れたのは、事件から1か月後のことだ。