「ストレスのかかる状況に対して、雅子さまが努力されたのは、皇族としての責任感を強くお持ちだからでしょう。

『適応障害』の治療法として、今まで持っていた考え方以外にも目を向けさせるという手法があります。

 今回であれば、『講書始』を経験したことで、学者からの講義で素晴らしい学びを得られる行事なのだと、考え方がお変わりになる可能性もあると思います

『歌会始の儀』はご欠席に

 今回の経験が、ご本人にとってプラスに働いてほしいものだが、この2日後に行われた皇室の方々や一般公募から選ばれた和歌が詠まれる『歌会始の儀』のご参加は見送られることに。

 もしお出ましになれば、こちらも15年ぶりのことだったが、『講書始の儀』よりも参加のハードルが高いというのは、前出の山下さん。

「『講書始』は、ずっと着席したままで学者の講義をお聞きになるだけですが、『歌会始』は両陛下や自分の歌が詠まれる際には起立をしなければならないなどといった“所作の決まり”があります。『講書始』の2日後ということも不安材料となり、今回は大事をとられたのだと思います」

 決して難しくなさそうな決まりだとしても、療養中の雅子さまにとっては、ご負担になることもあるだろう。

「世間から見れば簡単そうな所作でも、雅子さまからすれば大変なストレスがかかっていることもありえます。

『歌会始の儀』は、医師の判断のもとで欠席されたと思われますが、15年ぶりに『講書始の儀』に出席したことが病状の回復につながる可能性はあると思います」(出口さん)

 『歌会始』にはお出ましにならなかったものの、確実に“前進”を果たしたといえる。