「'70年代後半には、壁に突き当たったと感じていたそうです。司会と役者の二足のわらじでいくべきか、迷っていたんですね。
苦しんでいる彼を見て、奥さんが“ゼロになってもかまわないじゃない。もともとゼロからの出発なんだから”と言ってくれたとか。その言葉が後押しとなり、司会の道に進む決心がついたんでしょう」(同・芸能プロ関係者)
気持ちが固まると、次々に人気番組の司会をオファーされるように。関口は'79年から'92年まで放送されていた『クイズ100人に聞きました』(TBS系)や'94年4月から'11年3月まで放送された『関口宏の東京フレンドパークⅡ』(TBS系)といった人気番組の司会を務めた。現在も、'87年から毎週日曜に放送されている長寿番組『サンデーモーニング』(TBS系)の司会を続けている。
二人三脚で歩んできただけに、関口は妻の看護を第一に考えている。自宅マンションを訪れると、入り口は厳重な警備態勢。病院はすぐ近くで、療養には万全の環境だ。自宅近辺で話を聞いてみると、関口はよく目撃されている。
「関口さんがタクシーで出かけるところを見かけますよ。お仕事の関係者らしい人たちと一緒に歩いていることもあります。ただ、奥さんと一緒にいるところは見たことないですね……」(近隣住民)
西田は気軽に外出できるような体調ではないのだろうか。
「2~3か月くらい前の夕方に、関口さんが4~5人くらいで連れ立って歩いているところを見ましたよ。夕方だったので、どこかに夕食に行かれたのではないでしょうか」(近隣の店舗スタッフ)
たびたび訪れているのは、自宅マンションのほど近くにある中華料理店『T』。
「3~4年前くらいから、よく来るようになったみたいです。週の後半の夕方に行くと、何人かで食事していますよ。日曜日の『サンデーモーニング』の前に、打ち合わせを兼ねた食事会をしているみたいですね」(常連客)
やはり、西田の姿を見たという人はいなかった。室内で療養生活を送っているのかもしれない。
関口に真相を直撃すると……
関口は、3月中旬の夕方にも行きつけの『T』に姿を見せた。この日も番組の打ち合わせだったのか、年配の女性1人と関口を含めた男性5人が席に着いた。
「1時間くらい料理を注文せず、ずっと仕事の話をしているみたいでした。埼玉県の大宮市が最近人気なことや、北朝鮮や森友問題などを話していましたね。関口さんは小皿の料理を少し食べて後はお酒を飲んだり、葉巻を吸っていましたよ」(居合わせた客)