例えば、婚姻だ。
私が支援した無戸籍者たちの中では、幾人かは無戸籍のまま婚姻した。多くはお腹に子どもがいて、無戸籍を連鎖させたくないという当事者たちの強い思いがあった。ただし、その過程は戸籍を得る過程と同等、もしくはそれ以上に困難を極める。
婚姻するのに際し、無戸籍者本人の性別の確認できるもの(出生証明書など)や、母または父ほかの「なぜ無戸籍だったのか」などについての陳実書等々、提出しなければならないものが多過ぎて大抵の人はあきらめてしまう。そもそも資料がないからこそ無戸籍なのに。
実際、無戸籍者、そして婚姻しようとする相手方の双方に婚姻の意志がありながらも結果的に婚姻できず、その後、別れるといったケースは無数にある。
日本国憲法第24条で高らかに謳(うた)われても、婚姻は「両性の合意のみ」では成立をしない。知識と証拠となるもの、そしてお金と根気。
戸籍がありさえすれば、タダで何の苦痛もなくできることなのに。
繰り返しになるが、この「できる」を役所の窓口では「できない」として行政指導される場合が本当に多い。むしろそれが通常だということだ。
特に学校教育を受けていない無戸籍者にとっては、役所の人間が言うことは「絶対」である。本人たちはその自覚がなくても、そのひと言に「できない」と思い込んでしまうといったケースが多い。
役所の窓口だけではない。国民にとっては正義を果たす最後の砦である裁判所ですら「担当者の違い」などにより、「できる」ことが「できない」にされてしまう。
宝くじを買うような「当たり外れ」が、公的な場所で現実にあるのである。
だからこそ、無戸籍者は一刻も早く戸籍を作りたいと願う。その思いで、行政に相談に行き、裁判所に向かう。
「普通の人として生きたい」と戸籍を懇願する彼らを次に待ち受けるのは、本来は彼らを守るためにあるはずの「民法」の壁、「法律」という壁なのである。
なぜこうした理不尽が解決しないのか。『日本の無戸籍者』(岩波書店)で詳しく解説している。
「明日、あなたの戸籍がなくなるかもしれない」という本の帯に書かれた言葉が決して大げさでないということを、誰もが知ることになるだろう。
(文/井戸まさえ)
<プロフィール>
井戸まさえ
1965年生まれ。東京女子大学卒業。松下政経塾9期生、5児の母。東洋経済新報社記者を経て、経済ジャーナリストとして独立。兵庫県議会議員(2期)、衆議院議員(1期)、NPO法人「親子法改正研究会」代表理事、「民法772条による無戸籍児家族の会」代表として無戸籍問題、特別養子縁組など、法の狭間で苦しむ人々の支援を行っている。近刊に『日本の無戸籍者』(岩波書店)。