労働環境の大幅な変化が育児にもたらしたもの
この四半世紀で私たちの社会は、労働環境が大幅に変化した。非正規雇用が増え、労働力として人の商品化は進んでいる。
大阪事件を取材していた、2010年当時、風俗業界紙の元記者は私に次のように語った。
「1992年ごろまでのバブル期には、風俗で働く女性はアンダーグラウンド的な特殊な存在でした。それが援交ブーム、ブルセラブームを経て、性産業への敷居が下がる。バブル崩壊後の95年ごろにオウム事件が起きて、警察の取り締まりが手薄になり、雨後のタケノコのようにソープが作られました。格差社会が進み、性産業への敷居はさらに下がった。派遣業であれ、風俗であれ、今の20代、30代は、自分が商品として扱われることに慣れています」
一方、1997年には大手金融会社が複数倒産している。厚生労働省が5年ごとに行う全国母子世帯等調査によれば、その翌年の1998年から2003年にかけて、母子世帯は28%増加している。この、シングル家庭の増加の背景には困窮があったはずだ。収入とケアを夫と妻で役割分担する家庭を保持できにくくなっていた。家庭の不和は広がっていく。
2000年の武豊事件と2010年の大阪事件の母親の背景はよく似ているが、事件の見え方は異なる。
武豊事件は家庭の中で起きた。両親と弟が暮らす居間のすぐ隣の、北向きの三畳間に置かれた段ボール箱の中で、子どもが親のケアを受けられずに亡くなったが、まだ、「家族」のつながりがあった。
大阪事件の母親は風俗嬢だった。彼女は子どもが亡くなっていく50日間、SNSの中では自分にいかに素敵な恋人がいるか、仲間たちに髪をどんな色に染めたか、アピールし続けていた。つまり、自分に価値があることをアピールしていた。その一方で、子どもが亡くなっていった。彼女は、母として自他共に認められている時は、多様な社会資源を使うことができた。しかし、母としての価値が低くなった時は、社会の資源を使うことができない。
2つの事件の違いは、この10年間で人の商品化が進む一方で、家庭が維持できにくくなったことと関係がある。
お金と経済と精神に余裕がなければ、安全な子育てはできない。力が尽きた親を社会は激しく断罪する。
子どもたちの育ちを、家庭だけに任せておくことが難しい時代が到来して久しい。社会がどのように子育てに関わるのかが問われる時代になっている。