結果から言うとSMAP・森且行の「トークが苦手」というコンプレックスは、グループ在籍時にとうとう解消されることはなかった。
端正な顔立ちと歌唱力に恵まれながらも、芸能人としての資質に悩み続けていた森は、ずっと夢だったオートレース選手養成所の入所試験を受けて見事合格し、直後に芸能界からの引退を決断したからである。
そして以降の森且行はプロのオートレーサーとしてレースに集中し、メディア露出や人前に出るイベントからはしばらく距離を置くようになっていくのだが、そんな彼がもう一度かつての「コンプレックス」と向き合わなければならなくなったのはオートレースの売上減少、そしてその影響が2016年3月、船橋オートレース場の廃止という現実に結びついてしまったことだった。
「船橋オートレース場の廃止」が変えた40代の森且行
2000年代後半からはオートレースのイメージキャラクターを担当するなど、時間の経過とともに少しずつPR活動に参加し始めていた森だったが、葛藤がなかったわけではない。
過去のインタビューでも「(外部にアピールする役割を)できればやりたくはない」と話していたことがあるように、目標である“オートレースでの日本一”(SGレースの制覇)を叶える前に、知名度だけが再び一人歩きしていくような状況は、プロスポーツの世界にいる森が決して心から望むものではなかったはずだ。
しかしオートレースの存続危機が叫ばれ、さらに船橋オートの廃止が現実となったここ数年、森は各地でのトークショーやメディア出演といった広報活動をかなり積極的に引き受けるようになった。
その源となっているのは船橋オートの廃止が生んだ「万が一、もう1場でも潰れてしまうとオートレースそのものが無くなってしまう」という強い危機感、そしてレーサーとしての責任感である。