当時、秀樹は45歳の男ざかり。何度か恋も経験したが、「自分は一生結婚しないままかもしれない」と思い始めていたころだった。
仕事で大阪に行き、知人の男性と食事をした際、同席した男性の娘が彼女だった。
「会ったとたんにピンときたとか、ひと目で恋に落ちたとかは全然なかった(笑い)。でも彼女の前では、不思議と西城秀樹ではなく、(本名の)木本龍雄に戻れるような気がした」
美紀は土木会社の公共事業を請け負う部門に所属し下水道の設計を担当していた。
「現場ではいつもヘルメットを着用していて、まったく色気のない仕事なんです」
そんな美紀のさりげない魅力に秀樹は心ひかれた。
初めてのデートでの出来事が、最近出版したばかりの自著『ありのままに』にこう書かれている。
秀樹は待ち合わせをして食事をした後、「帰りは彼女を家まで送っていこう」とベンツに乗っていった。初デートの後、ベンツで送ってもらえば女性はきっと喜ぶだろう、と考えていたのだ。ところが、その申し出を断られた。
理由を聞くと、
「私、今日は自転車でここまで来たので」
《なんと美紀は、僕との初デートにママチャリでやってきたのだ。僕は軽い肩すかしをくらって、「またこの人に会いたいな」と思うようになった》
なんとも微笑ましいエピソードである。
「美紀の実家はけっこう裕福で、世間からすればお嬢様として育ったはず。それなのに彼女は実家から独立して、ひとりのOLとして周囲のバランスを考えながら暮らしてきた。自分だけが目立つようなものは身につけないように配慮している。そんな彼女の生き方が僕に刺激を与えた」
美紀と付き合うようになって、秀樹はごく普通の美紀の価値観に感化されていった。
2001年6月30日に挙式。しかし、2人を待っていたのは、2度にわたる病気との闘いだった。