「普通」の家族なんてない

 麻里子さんは、その翌日、予定通り荷物をまとめてDVシェルターに避難した。大輔は朝から仕事に出かけて、夕方まで帰ってこない。それでも、万が一の事態に備えて、警察官2人がアパートから避難するのを見守ってくれた。

 帰宅後、大輔は麻里子さんの不在を知ると、狂ったように何十通もLINEのメッセージを送ってきた。麻里子さんのスマホはあっという間に通知だらけになった。警察の指示に従って、そのすべてを無視した。DVと娘の暴行に対する被害届を出すと、すぐに大輔は逮捕され、接見禁止命令が出た。それ以降、大輔とは連絡をとってはいない。

 その後、刑事裁判にかけられることとなり、懲役10か月、執行猶予3年という判決が下った。DVの刑事裁判自体が珍しい中で、相当に悪質なケースだと、担当の検事は麻里子さんに言った。

 葵は、体育の授業で学校の体育館に足を踏み入れると、大輔のことを思い出してブルブルと震えたり、怖がるようになった。DVのトラウマだと精神科医は告げた。

 麻里子さん一家は新たな住まいを見つけ、再び2人の生活が始まった。

 もう、普通の家庭を、目指さない――麻里子さんは、そう決めた。父親がいないという事実に、麻里子さんは娘と共に、初めてしっかりと向き合うことにしたのだ。

「娘にはずっと父親を作ってあげたいと思っていたけれど、それは、無理なんです。見せかけ上の家族を作っても、それは本当じゃないって気がつきました。新しい環境では、最初からシングルマザーであることは堂々と言いました。よく見てみたら、周りにも私たちみたいな人もいるんだなと、初めて分かったんです。全然引け目を感じることはないんだって。

 今、娘との2人の生活が本当に今までで一番満たされているんです。ありのままの姿の私で生きられるって幸せなんだって、ようやく知ることができたんです」

 幸せな家族像を追い求めて、そこで麻里子さんが体験したのは、暴力の現実から目をそらし続けた「仮面家族」という地獄だった。長い道のりだった。しかし、今、親子は、再生しようとしている。

 麻里子さんが追い求めた、幸せな理想の家庭とは、誰かが与えてくれるものではない。そして、自分以外の世間という「あいまいなもの」に認められることではなくて、自分たちの手でちゃんと作り上げていくもの。それを麻里子さんは、この辛い経験を通じて理解したのだった。

【文/菅野久美子(ノンフィクション・ライター)】


<プロフィール>
菅野久美子(かんの・くみこ)
1982年、宮崎県生まれ。ノンフィクション・ライター。最新刊は、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)。著書に『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)などがある。孤独死や特殊清掃の生々しい現場にスポットを当てた、『中年の孤独死が止まらない!』などの記事を『週刊SPA!』『週刊実話ザ・タブー』等、多数の媒体で執筆中。