「当時の代表メンバーは、もうバブリーで、みんな活きがよくてイケイケドンドンな感じでしたから、あのメンバーを取りまとめるといったら大変なこと。でも、 “こうしてほしい”ということはハッキリ言ってくれるし、手なづけるのがうまかった。
それはなぜかというと、やっぱり西野さんが言ったことをやると勝ったから。西野さんはスタッフの取りまとめ方も上手で、コーチの山本昌邦さんなど、スタッフみんな仲がよく、西野さんをサポートしてました」(松原さん、以下同)
当時の代表メンバーとスタッフは、西野監督を中心に今でも年に1回集まっているのだという。
「西野監督、コーチ、スタッフ、いろんな関係者のみんな、選手も含めて、家族まで集まる。僕ら選手は引退してから呼ばれるようになったんですけど、西野さんたちスタッフは五輪終わってからも毎年やっていたらしいんですよ。
僕は今、選手の幹事をやっています。まぁゾノ(前園)とかヒデ(中田)は1回も来たことないけど(笑)。そのほかはだいたい来てます。西野さんの息子さんも来てますよ」
アツい魂は健在
お酒を飲んでもクールだという西野監督だが、当然サッカーには熱い。
「アトランタのメンバーはあまり指導者になっていないんですが、西野さんがよく言うのが、“お前らみたいなのが現場にもっと出てこなきゃダメだ”と。僕には“お前なんて海外知ってるんだし、早く現場に出てこい。メディアの仕事なんていつだってできるだろ。ほかの仕事も年とってからだってできるだろ!”って(笑)」
松原さんは今年3月に大学院を卒業、その際、サッカーに関する研究論文を執筆したのだが、西野監督に取材させてもらったという。
「それが韓国に敗れた翌日だったんですよ(注・'17年12月16日の東アジア選手権。日本は1対4で大敗)。場所は都内のサッカー協会だったんですけど、話を聞いていると、後ろにハリル(ホジッチ)が来て。
西野さんも“この後、ミーティングやんなきゃいけねぇんだよ。昨日もボロ負けしたから”と。そんな忙しいときでも、教え子に時間を割いてくれる。“現場に出てこい”と気にかけてくれたり、すごく温かみのある人なんです」
天性のカッコよさで、日本を勝利に導いてくれることを期待したい!