政府も司法もゴリ押し、新基地建設の実態
そもそも辺野古新基地建設とは、いったい何なのか。ポイントを整理しておきたい。
2013年12月、当時の仲井真弘多知事が、県民の総意に背く「埋め立て承認」をしてしまってから、はや4年7か月が過ぎた。しかし民意を踏みにじって進めようとする、あまりに強引な新基地建設工事は、多くの沖縄県民の強い反発を招き続けてきた。
辺野古の米海兵隊基地キャンプシュワブの工事用ゲート前には連日、市民県民や県外国外からの支援者が座り込み、冒頭から記してきたように、海上行動チームによるカヌーや抗議船を用いての阻止・抗議行動も絶えず行われてきた。
このような抗議行動に対し、インターネット上のみならず、一部のテレビや活字の媒体でも、デマとヘイトの攻撃が絶えない。政府によって民意を踏みにじられ、やむにやまれぬ行動を起こす市民らをテロリストや暴力集団扱いし、「日当をもらって座り込んでいる」などの愚かなデマ攻撃を拡散する者もいる。もちろん、事実と異なり明白な間違いだ。
そもそも、戦争のどさくさにまぎれて米軍が沖縄の住民から奪い取った土地のひとつが普天間基地である。戦時の民間地強奪はハーグ陸戦条約違反。無条件返還されて当然だが「普天間の土地を返してほしければ代わりの土地をよこせ」とばかりに、日米合意によって勝手に決められてしまったのが「辺野古移設」だ。
しかし、移設とは名ばかりで、オスプレイをいま以上に多数配備し、空母タイプの巨大な強襲揚陸艦が接岸できる軍港付きの設計で、沖縄県民にとっては負担と危険が増大する。機能強化の「新基地」であることが、米軍文書や沖縄平和市民連絡会共同代表・真喜志好一氏(建築家)らの分析で明らかになっている。
民主主義(選挙結果)も地方自治も否定し、司法の人事にまで手を突っ込んで三権分立を危うくし、沖縄に基地を押しつけ続けるためなら手段を選ばない。それが政府の、特に安倍政権になって顕著になった強硬姿勢だ。
安倍首相でさえ「県内移設」の理由について「(県外移設は)本土の理解が得られない」からなのだと、2月の衆院予算委員会で白状している。
このような政府の沖縄への差別的態度に抗(あらが)う市民の側にとって、ゲート前座り込みなどの「非暴力・不服従・直接行動」こそは、残された大切な表現手段なのだ。実際、’04年に始まったボーリング調査阻止行動以来の市民の抵抗のおかげで、この新基地建設ゴリ押し工事は、当初の予定からは大幅に遅延している。
最大の問題点は、沖縄の民意を一顧だにしない政府の姿勢にある。だが、’10年の知事選で「普天間基地の県外移設」を公約に当選したはずの仲井真氏が、民意を裏切って「埋め立て承認」をしてしまったことにも、重大な責任がある。仲井真氏が民意に従ってしっかりと抵抗していれば、これほどまでの県民の苦しみ悲しみは、生まれなかった。
だからもちろん、当時、県民の怒りは沸点に達した。’14年11月の知事選では、仲井真氏を知事の座から追放し、懲らしめる意思表示を明確にした。辺野古新基地建設反対を明言する翁長雄志新知事を10万票差の圧倒的勝利で誕生させ、あらためてきっちり民意を示したのである。
知事選以外にも、その年の名護市長選、名護市議会議員選、衆院選など「辺野古新基地建設の是非」が最大の争点となったすべての選挙で、明確に新基地に反対する勢力が完全勝利を果たしてきた。
当選後の翁長知事は、「埋め立て承認取り消し」のために第三者委員会を設け、その答申を受け、慎重に検討を重ねたうえで翌’15年10月に「承認取り消し」を行った。
しかし、である。裁判所(福岡高裁那覇支部)は司法の独立を放棄したのか、安倍政権(防衛省)の言い分のような判決文を書き、沖縄県側の主張を一顧だにせず、「辺野古が唯一の選択肢」だという政府の主張のみ是認した。沖縄県の上告を受けた最高裁も、高裁の判決を否定せず、沖縄県側には言い分を述べる機会さえ与えず、門前払い(上告棄却)し、沖縄県の敗訴は確定した。それが’16年12月20日。多くの県民が「司法は死んだ」としか言いようのない落胆を覚えた日である。
翁長雄志知事は同日、公式コメントを発表している。
《最高裁判所には、法の番人として、少なくとも充実した審理を経た上で判断をしていただけるものと期待しておりましたが、あたかも前知事の埋立承認がすべてであるかのような判断を示し、(略)国と地方を対等・協力の関係とした地方自治法の視点が欠落した判断を示し、結果として問題点の多い高裁判決の結論を容認しました。(略)あらためて申し上げるまでもなく、県民の理解が得られない新基地建設を進めることは絶対に許されません》(一部を抜粋)
安倍晋三首相や菅義偉官房長官が繰り返す「沖縄のみなさんの気持ちに寄り添いながら、基地負担を軽減します」とか「最高裁の判決に従って辺野古移設を進めます」とかいう言葉がいかにまやかしであるかは、すでに多くの県民が見抜いている。