「息子さんにも自分と同じように、普通の生活を送らせてあげたかったんじゃないかな。小学生になるまで、自分が“さくらももこ”だって明かさなかったみたいだし。彼が中学に入ってからも、自分の親が“さくらももこ”だっていうことを友達にも言わないでとクギを刺していたそうだからね。
参観日や保護者会にも来なかったし、運動会はチラッと見て帰るくらいで、長居することはなかった。それくらい、周りから特別に見られることを避けていたんでしょう」(同・近所に住む男性)
'03年には、イラストレーターと再婚するが、その数年後に、乳がんであることが発覚した。
「さくらさんは、自分はがんであることを定期的に連絡を取り合っている、極めて親しい仲間にしか明かしていませんでした。心配されるのがイヤだったのかもしれませんね」(さくらさんの知人)
かつて雑誌のインタビューでは、《なるべくムダな用事は断ろう。気のすすまない食事や飲み会は時間もお金も体力も気力もムダになります》と語ったこともあった。
そんな彼女だったが、闘病生活が始まっても、故郷へは足を運んでいたという。
「病気については4年くらい前から“身体の具合が悪い”とは聞いていましたが、そこまで悪かったとは思いませんでした。それでも、あまり目立つようなことはしたくなかったんでしょうね。ここ数年は、同級生たちと会うことはおろか、電話連絡もしてなかったそうです。
唯一、会っていたのは漫画でも親友としておなじみの“たまちゃん”のモデルとなった女性だけでした」(実家近くに住む男性)
昨年6月3日、さくらさんが最後に清水区を訪れたのは、祖父の友蔵さんが眠っている先祖代々のお墓のあるお寺だった。
「その時も、自分で歩いて来られましたよ。髪は肩までのボブで、元気そうには見えましたが、私にも親戚に婦人科系のがんを患った人がいたので、さくらさんの歩き方がどこか弱々しく“もしかしたら”とは思っていました。
故人の命日でもなく、本来の法事を行う時期ともズレていたので、なんかおかしいなと思っていたんです。いま思うと、元気なうちにってことだったんでしょうね」(寺院関係者)
天国できっと、友蔵さんと“のほほん”生活を送っているに違いない─。