どうして言葉数が多いのだろう……
大橋さんは、両親と7歳年上の兄との4人家族で育った。
「9歳から33歳まで地獄だった」と振り返る。
小学校3年生のときに親が家を購入。引っ越して転校した途端、集団いじめが始まった。それまでは学校が好きで、友達ともよく遊んだという。ところが転校して早々のいじめに彼は面食らった。
「担任がなぜ僕をいじめるのかと他の生徒に聞いたら、“自慢するところがむかつくから”“ゲームやおもちゃをたくさん持っているから”などが原因だった。そんなこと親にも言えないし、休み休み学校に行くという感じでした」
母親は教育熱心で「過保護、過干渉」だった。彼は小学生のときから、水泳、そろばん、習字、英会話、塾などさまざまな習い事をしていた。一方で父親は教育にも家庭にも無関心。両親はお世辞にも仲がいいとは言えなかった。
「おもちゃはたくさん買ってもらったし、周りから見れば愛されて育っているように見えたんでしょうね。でも今思えば、そこに僕の意思はあるようでない。衣食住で苦労はしなかったけど、親は自分の思いを押しつけて、僕がどう思っているかは考えたことがなかったんじゃないかな。本当はゲームセンターに行きたかったけど、母親は絶対行かせてくれなかった。無視して行ったら、ぶっ殺されるんじゃないかとさえ思ってた」
私立中学の受験に失敗したとき、父は何も言わず、母は嘆き悲しんだ。公立中学では、吹奏楽部に所属、生徒会の役員もやった。勉強は苦しかったが、担任や友達に恵まれて3年間をなんとか乗り切った。
「そのころから親との関係性が悪くなっていきました。仮面親子というのかな。父は相変わらず無関心、母は事なかれ主義。表面的には家族の体裁を整えていたけど、世間体を気にしていることが思春期の僕にはわかったし、よく衝突もしました。結局、こっちの言い分は聞いてもらえないんだけど……。母にはよく、“みっともない”“恥ずかしい”“やめなさい”と言われた。マイナスの世間体にばかりとらわれて個を大事にしようとしなかった。僕は、それは虐待に近いと思っています」
大橋さんの言葉数は多い。似たような言葉で同じ内容の説明を繰り返す。自分の気持ちが伝わっていないのではないか、という強迫観念があるのかもしれないとふと思う。