正体がわかって生まれ変わった
推薦入学した私立の付属高校で、またいじめにあった。誰にも相談できないまま、親との衝突も抱えて、それでも彼は頑張った。大学受験にも合格。ところが2年生のときに完全に心が折れて退学。その後は家にひきこもった。
ただ、大橋さんは基本的な生命力に満ちている。自らアルバイトを始めたのだ。福祉関係の職場を転々としたが、問題は長続きしなかったこと。
「場の空気が読めないんですよ。どういう環境で育ったのか知りたいと職場の人に嫌みを言われたこともある。自分が頑張るほどに空回りしていく。だから数か月で仕事を辞めてまた、ひきこもる。それでも働かなければという“常識”が僕の中にあるから、また意を決してバイトをする。でも続かない。10年以上、そんな生活を繰り返していました」
ずっとひきこもり続ける人もいれば、大橋さんのように外に出ては挫折してひきこもることを繰り返す人も多い。そして、ひきこもるたび傷は深くなっていく。自分はどこかおかしいのではないかと7か所も病院を巡った。ついた病名は「適応障害」。
30歳を過ぎて、いよいよつらくなった大橋さんは、発達障害ではないかと思い、再び病院へ行ってみることにした。
「発達障害だとわかったときは、ホッとしました。障害という言葉が嫌だから、僕は“発達デコボコ”と呼んでるんだけど、好きなこと嫌いなこと、得意なこと苦手なこと、関心のあることないことの差が激しいんですよ。あらゆることがゼロか100かなの。判断もそうだし価値観もそう。その度合いが一般の人と段違いなの。例えば、僕はハサミやカッターが使えない。頑張ってもまっすぐ切ることができなくて、ぐじゃぐじゃになる。それがハンパじゃないわけよ。ほかにもできないことがたくさんある」
「できない」って、素直に言えない
できないことがあっても、対処ができれば自分は救われる。私自身も数字が苦手で事務処理ができない。人が30分でできることであっても2、3日かかってしまう。だが、「できないのでお願い」と頼めば、誰かがやってくれる。
「僕らは親に褒められたことがなくて成功体験、達成感を知らない、息抜きの方法がわからない。だから何をやってもテンパって周りに合わせられない。それなのに風呂敷広げちゃうところがあるから、最初に“できます”って言っちゃうわけよ。だから発達障害と診断がついたのは僕にとって生まれ変われたのと同じ。僕自身の取扱説明書を示すことができるから、人と関われる。やっぱりね、人と関わることで自分を知るんですよ。人に揉(も)まれて、苦しくても少しずつ生きていく術(すべ)を身につけることができる」