“美”への執着に共感を覚えました

 三島由紀夫さんが死の直前に完成させた、四部からなる大長編。それが『豊饒の海』だ。これまでに第一部『春の雪』が映画や舞台になったことはあったが、今回はなんと四部すべてを再構築し、ひとつの舞台作品として上演するという。軸となるのは20歳で命を落とした美青年・清顕と、彼を追い求め、人生の中で何度もその生まれ変わりに翻弄される親友・本多の姿。若年期・中年期・老年期の本多が登場する本作で、中年期を演じるのは、バレエダンサーにして俳優の首藤康之さんだ。

 この原作を初めて読んだのは20歳のときだという首藤さん。そのときは「理解に苦しんだ覚えがあります」と笑うが、26年たって再び向き合ったこの作品は「不思議なシンパシー」を感じさせるものだった。

改めて感じたのは言葉のひとつひとつが非常に美しくて強いこと。最初のときとはまったく違う印象を受けました。自分がそれだけ人生を重ねたからかもしれないんですけれど、とても共感を覚えたんです。三島さんが求めていた“美”というものと、僕が舞踊をやっている中で追求している“美”というものが、きっと少しずつ近寄ってきているんでしょうね」

 ダンサーとしての首藤さんは、まさに“美”そのもの。“美の探求者”同士が共鳴し合うのは当然かも。

「“美”の概念は人それぞれだと思いますが、僕は普段、身体を使って仕事をしているので“美”の観点はつねに身近なんです。それに僕も自分が演じる本多と同じく中年ですので。この年代は、人生を生きたと言うには軽々しいし、逆に死ぬとなると早い、まだ不本意にしか生きていない、中途半端な年なんですね。人間の衰えであるとか、衰えることへの恐怖であるとか、衰えることの美しさ。そういったものすべてが、もしかしたら夢だったかもしれないという概念も、自分に近いものがあると感じました

 本作の脚本は時制がバラバラに語られたり、3世代の本多が同時に登場したりする。それでも原作の本質を失わずにとらえた、真の意欲作だ。イギリス人が演出を手がけることも、首藤さんには興味深いとか。

「僕が初めて三島さん原作の舞台化作品に出演したのが20歳のときで、フランス人の振付家、モーリス・ベジャールさんが手がけた『M』という作品でした。それも“異国人が見る三島由紀夫”の世界だったんです。日本人だと入り込めないようなところまでスッと簡単に入り込むところもあれば、異国人ゆえに理解しえない部分もあって、そのギャップが面白かった。

 これは三島さんの作品を取り込みつつ彼自身の半生を描いたものでしたが、僕は『仮面の告白』に“美の象徴”として登場する絵画“聖セバスチャン”を演じさせていただいたんです。それから26年後、今度は『豊饒の海』で“美の象徴”を追いかける役をやる。そこには運命的なものを感じますし、年を重ねてきて“生きている”感じがしますね」