中学でいじめられても、ひたすらに受け入れてきた。音楽と文学に傾倒した少年は、周りの人が思うよりずっと繊細だった。だから祖母の愚痴も聞き流せず、すべての言葉を全身で受け止め、ネガティブ思考に浸蝕(しんしょく)されていった。浪人生ならではの焦燥感も手伝い「心の状態はステージ4という感じで殺意を出さないために祖母とは目を合わせないようにしていた」そうだ。
そんな状態だからセンター試験はボロボロで、そのまま愛知県の実家に帰る。
「帰るとき、祖母は“怖かった。あんたに殺されるかと思った”と言っていました。殺気を感じていたんでしょうね」
彼を「弱い」と受け止める向きもあるかもしれない。ただ、18歳の多感な時期にそんな環境に置かれたら、もともと繊細な彼が病んだとしても不思議ではないと私は思う。
人を傷つけないためにひきこもった
帰ってくるなり2階の自室にひきこもった。自分がいることで両親をも傷つけてしまうのではないか、という強迫観念に苛(さいな)まれたからだ。以降、7年間ほぼ両親とは顔を合わせてない。親が出勤すると母が用意した食事をすませて風呂に入り、またひきこもった。両親が休みの週末はほとんど食事をしないこともあった。
「部屋では、本を読むか自問自答するかゲームをするか。どうして自分はここにいるのか、なにゆえ生まれてきたのか。ぐるぐると同じことを考えて、答えが出なくて疲れて眠る。そんな日々でした」
祖母の愚痴やネガティブ思考を、彼は「先祖から否定された」と受け止めていた。
「先祖全部に否定された、生まれてこなければよかったと。僕が生まれなければ両親もよかったのではないか。父は僕がいるから国の仕事への出向を断ったらしい。母は才気煥発(さいきかんぱつ)な人だから、僕がいなければやりたい仕事もできたはず。僕が両親の可能性を奪ったんだ。毎日、自問自答で苦しくてたまらなかった」
彼はいまだに、7年の時間感覚がつかめないそうだ。ひどく落ち込んでいたが、あるときから気持ちを封じ、感情を殺すよう努めたからだ。
裕喜さんの話にはよくお母さんが出てくる。私はどうしても会いたい、と彼に頼んだ。母親の記憶によれば、1度だけ父が無理やりドアを開け、部屋に入り込んだことがある。