「そのとき、私は一瞬、ちらっと裕喜の顔を見たんです。憎しみに満ちたような、ものすごく険しい顔だった」
両親は、部屋の中で死んでしまうつもりなのかと不安でたまらず、心労の連続だった。
「どうしてひきこもったのか、私の育て方が悪かったのかと自分を責め、その後は、それほど子どもに圧力を与えて育てたわけじゃないのに、なぜと心の中で子どもを責めた。さらに時間がたつと、この状態がいつまで続くのか、私たちが死んだらこの子はどうなるのかと心配になって」
それでも5年ほどたつと、少しずつ変化が訪れる。彼もその空気を感じ取っていた。
「2階にいても階下の様子がわからないわけじゃない。ふと、父親のドアの開け閉めの音が変わったと思ったことがあったんですが、母と一緒に父も心理学的な勉強をしていたみたい。リビングに父から“今の状態が残念でならない”という手紙が置いてあったこともあります。父も疲れている。そんな気がしました」
母は母で、生い立ちも含めて自分の人生を見つめ直した。
「実は心を閉ざしているのは息子ではない、私と主人なのではないか、と。彼は大事な青春時代を使って、そのことを教えてくれているのでは、と思い至ったんです」
不仲だった自分の両親のこと、自分と夫の関係などを母はじっくり見つめていった。
母の何気ない言葉に笑ってしまって
裕喜さんには両親への恨みはない。ひきこもっている時間、彼は自分を分析しつづけた。そしてある晩、決定的な夢をみる。「理想の自分」と「ひきこもっている自分」が長い対話を交わしたのだ。
「理想の自分が、ひきこもっている自分に“このままでよくないのはわかってるよね”と言う。ひきこもっている自分は“外に出て誰かを傷つけてしまうくらいなら、ここにいるほうが安全”と答える。理想の自分は“殺意が暴走しないように生ける屍(しかばね)になっているのは、並大抵の覚悟ではないよね”と言ってくれる。つまり、理想の自分は、ひきこもる自分を全力で理解しようとするわけです。そしてついに、ひきこもっている自分が言ったんです。“自分が変われば世界が変わる”と」
彼が新たな人生を一歩踏み出した瞬間だった。
ある日、いつものように両親が外出したあと、風呂をすませ、ふとリビングのピアノに向かった。そして、7年間触れなかったピアノを弾き始めた。夕方になり、母が帰る時間になっても彼は弾き続けていた。
「お風呂上がりだったから、腰にタオルを巻いただけのほぼ裸だったんですよ。母は部屋に入るなり、“どうして裸なの?”と、まるで今朝も会話を交わした続きのようにさりげなく言った。“とうとう部屋から出てきたのね”と大げさに騒がれたら、僕はまた閉じこもったかもしれません。あまりにさりげなかったので僕もつい“あれ、どうしてだろ”と笑ってしまって」