チェッカーズ再結成はあるのか!?
10月24日、チェッカーズの元メンバー武内享、大土井裕二、藤井尚之のバンド『アブラーズ』の結成15周年ライブが大阪であった。これに藤井フミヤがゲスト出演したことが話題になっている。
藤井フミヤは知っていても、チェッカーズを知らない若い人は多いだろう。
'80年代から'90年代初めにかけて大活躍し、今のアイドルグループ以上に人気を博したロックバンドだ。
メンバー内の亀裂は“バンドの宿命”
'83年、藤井フミヤと武内亨の二人が結成したこのバンドは、後に、高杢(たかもく)禎彦、鶴久政治、大土井裕二、徳永善也さん(故人)、フミヤの弟・尚之を加え、メンバーは7人となった。
同年、『ギザギザハートの子守唄』でデビューすると、それまでなかった曲調とメンバーの個性的なスタイルに注目が集まり、翌年リリースした『涙のリクエスト』が大ヒット。瞬く間に超人気バンドとなった。
リリースする曲はすべてヒットし、'92年に解散するまでCD・DVDの総売り上げは1500万枚以上に達している。NHK紅白歌合戦には'84年から9年連続で出演し、メンバー主演の映画まで制作されたほどだ。
しかし、バンドの宿命ともいえるが、ソロ活動を始めるメンバーが出始め、グループの結束に徐々に亀裂が入ることにーーー。
「後年になって高杢さんが語っていたところによると、当時は給料制だったそうです。ただ、ソロ活動や、作詞・作曲の印税は別に入ってくる仕組みだったようで、人気のあるうちにソロ活動を始めようとする人が出てくるのは仕方ないでしょうね」(レコード会社関係者)
結果、'92年にグループは解散したのだが、解散の本当の理由は、フミヤと高杢の確執にあった。それは'03年に出版された、高杢が書いた自伝的エッセイ集『チェッカーズ』で明らかになる。
「高杢はフミヤが一方的に解散を決めたことが不満で、グループは解散派と解散否定派に分かれました。しかし解散してしまったことで、溝ができたのです。本には金銭問題なども書かれていて、まるで暴露本でしたね。これにはフミヤが激怒したといいます」(芸能プロ関係者)
その後、メンバーのひとり、徳永さんが亡くなり、『お別れの会』の発起人からフミヤと対立していた高杢と鶴久が外されたことにより、両派は完全に分裂、溝はさらに深くなった。
そんなところから、再結成は難しいと思われていた。