戦争という意味では、第一次世界大戦(1914〜1918年)もあった。さらに日中戦争(1937〜1945年)へ突入。1941(昭和16)年の真珠湾攻撃に国民は熱狂。快勝モードが一変したのは、旧日本海軍がミッドウェイ海戦で大敗した昭和17年だ。次第に敗戦色が濃くなっていく。
「実は“勝てる”と思っていたころは、勇ましい名前はそれほど上位を独占していません。戦局の絶望化に伴い、勝利にまつわる名前が増えたんです。これも、やはり欠乏感。手に入らないからこそ求める切実な気持ちからの名づけだと説明できます」
1945(昭和20)年に終戦を迎えると、不安感は解消され、勇ましい名前はランキングから一気に姿を消した。
幸子と節子に込められた願いとは
一方、女の子のランキング。1932(昭和7)年の1位は和子だ。
「元号が昭和になったためです。昭和2(1927)年から26年間、1位が23回、2位が3回。上位を独占していました」
2位には幸子、3位には節子がランクイン。幸子は1927(昭和2)年〜1966(昭和41)年まで、節子は1927年〜1953(昭和28)年まで、トップ10入りし続けた。
「幸子が多かったときは、女性にとって苦難の時代でした。電化製品もなく、家事は今の何十倍も大変です。子育てや、商売や農業などの手伝いも。一生、重労働で終わる女性が大半だった時代に“幸”という字が流行したんです。これも欠乏感の表れといえます」
節子や貞子に期待されていた道徳観は、貞節。
「当時の女性は結婚相手も自分では決められず、“父兄に従い、夫に従い、子に従う”のが当たり前。女性の好き勝手をしてはいけない、従順たれという感覚が強かったんです」
女性の権利が認められ、炊飯器や洗濯機など電化製品の普及に伴い、幸子や節子も圏外に。
終戦間もない1947(昭和22)年の男の子は2位に稔、7位に茂が。
「これらに加えて実、豊も、すべて収穫に関係した名前です」