発達障害を隠していた親が許せない
彼女は人情の厚い下町に引っ越した。1階に高齢の大家さんが住む家の2階だった。ネットワークエンジニアの仕事に再就職し、大学院にも復学。ところが毎晩、元夫の怒鳴り声がフラッシュバックして眠れない。気分は落ち込むばかりで精神科を転院。新しいうつ病の薬を処方された。
「でも逆にだるくて寝たきりになってしまい、結局、休職から退職。大学院も休み休みでした。それでついに、うつ病で障害者手帳をとったんです。区役所で手帳をもらうとき、担当の保健師さんを紹介してもらったんですが、その人が大家さんの元同僚。すっかり安心していろいろ話を聞いてもらって相談できました」
彼女は初めて「他人に心を開く」感覚を味わった。親や身内ではなく、大家さんや下町の近所付き合いなど他人とのふれあいに救われたのだ。
「同時に、どうして親が私を障害者扱いするのか気になってケンカ腰で聞いてみたら、出産時の事故で微細脳損傷になった、と。今でいう発達障害ですね。どうして隠していたのか……。もっと早く教えてくれれば対処の仕方があったのに。医者にその話をすると、うつ病の薬は中止、発達障害の薬に切り替わりました。親への許せない気持ちはますます大きくなったけど、生きづらさの原因がわかったのはちょっとほっとしました」
支援を受けてゴミ屋敷から再出発
大学院に復帰し、昼間は就労移行支援に通った。ところが薬の副作用がひどく、やはり体調はすぐれないまま。更年期のような症状が表れて食欲がなく、無理に食べては吐いてしまう日々。半年で20キロやせたという。体力が落ちて就労移行支援には通えなくなった。見かねた担当保健師さんが地域活動支援センターに連絡。施設長が話を聞いてくれ、ゴミ屋敷状態の部屋の収納家具買い出しに付き添ってくれたりヘルパーさんの利用計画も立ててくれた。
「またも他人の優しさに助けられて大学院を卒業することができたんです」
現在は障害者年金と共済年金で月6万円台の収入。今年に入って在宅でIT関係の仕事ができるようになった。
「質素な暮らしをしていますが、それでも毎月大幅な赤字。かつての預金を取り崩しながらなんとかやっているという感じですね」