娘は大学生になった。SNSでよく連絡をとっているが、ああいう環境でよくしっかり育ってくれたと佳奈さんはしんみりと言った。
「私、自分が過干渉で育ってとてもいやだったので、自分の子にはネグレクトぎみになってしまったのかもしれない。親子関係も悪くて、社会の中でもうまくいかなくて、夫にもわかってもらえなくて。本当に“絶望”していたんです。このままずっと絶望の中で生きていかなくてはならないと思っていたけど、微細脳障害と診断が下って、やっと過去からの自分が許せるような気がしました。なんとか組織の中で働こうと頑張ってきたけど、おそらくそれはむずかしかったんでしょう」
彼女は数え切れないほど「頑張ったつもりだったんだけど」という言葉を使った。そのたびにせつない表情になるので、こちらも胸が痛んだ。でも「自分を活かせる場所」を見つけられなかっただけではないか、一般組織に向いていなかっただけではないか。
私は大学を卒業後、そのままフリーランスとなった。組織には向いていないと思ったからだ。高校時代、不登校の経験もあったし、毎日同じ場所に出向き、同じ顔を見ながら仕事をするのは無理だった。動物的カンで、自分を窮地に追い込まない生き方を選んだのかもしれない。ただそれは、私が佳奈さんのように「まじめ」でも「優秀」でもなかったからできたことだったように思う。
彼女は今、発達障害やひきこもり、LGBTなどの当事者会や親の会の手伝いをしている。自分が生きづらかったぶん、気持ちがわかるのだ。
「自分を振り返ると、当事者と親、どちらの気持ちもわかるんです。親も困ってるけど、当事者も苦しんでる。周りの他人も含めてみんなでゆるくつながれたらいいと思います」
口調は穏やかだが、その目は何かを乗り越えつつある人の力強さに満ちていた。
【文/亀山早苗(ノンフィクションライター)】
かめやまさなえ◎1960年、東京都生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆。