《今は俳優として頑張っている24歳になる孫が私の夢。早く一人前になってほしいと見守っています。先日、高崎映画祭で主演女優賞をいただいたときにもらった大きなだるまに目をいれるとき、もう私には願い事がないわ……と困ってしまって。代わりに孫のことを祈って目をいれることにしました》
家族への感謝の気持ちも明かしていた。
《自分が置かれている環境がとっても幸せで、老後に対して何の不満もありません。昨日も孫の誕生日で、家族でお寿司屋さんにいったりしました。そういう時間が本当に楽しいんですね》
赤木さんが娘と孫を連れて通っていた寿司店『勇(いさみ)鮨(すし)』。30年以上前からの行きつけで、出前も頼んでいたという。
「1年前にも車イスで来てくださいました。そのころはとてもお元気で食欲もあり、“やっぱり食べる方は元気なんだな~”と思った記憶があります」(店主の鈴木健一氏)
いつもカウンターに座り、目の前で職人たちが握る様子を見ながら寿司を楽しんでいた。
「数の子、赤貝、手巻きと何でも召し上がりました。白身魚もお好きでしたね。一番お好きだったのは中トロかな。いつもお孫さんに“もっと食べな”ってお寿司を勧めていました。ご家族と本当に仲がいいということが伝わってきました」(鈴木氏)
先のインタビューでは、自身の死についての思いも打ち明けていた。
《死へのこだわりは……あります。嫌なのは、私のスッピンの顔でみなさんにお別れすること。最後が見苦しいのは嫌ですから。でも、唯一気にしていたのはそれだけです。娘に伝えたら、長年メイクを担当してくれた方に頼んでくれるそうです》
娘の野杁泉さんは、1か月半ほど前から傍にいて見守り続けてきた。少しずつ衰弱し、大きな声が自慢だった母の言葉が50センチの距離でも聞き取れなくなっていく。
「それでも“お友達とはどう?”と孫たちに語りかけたりして、病室へお見舞いに来た方も私たちも、周りはいつも笑顔でした。看護師さんたちにも丁寧な言葉遣いで接していて“芸能人なのに気取らない方で、ファンになりました”と言っていただきました。
こんなに好きと言ってくださる方がいるということは、いい意味で普通だったんだと思います」
普通の人を演じ続け、人柄と演技が幸福に結びついた女優人生だった。