誰でもなりうるひきこもり

 同じころ、「支援団体」と名乗るグループが暴力的に家から連れだして寮に入れてしまうのをテレビで見ても、自分の経験と照らし合わせ、ひきこもりをめぐる状況を客観的に見られるようになっていた。斎藤さんが参加している「ランニングの会」にも誘われて行くようになり、今もときどき一緒に走る。そうやって、木村さんは徐々に人や社会との接点を見いだしていく。

「ついにひきこもりから脱出したのは2016年4月。写真の学校に通い始めたんです」

 宅浪時代と大学卒業後合わせて計10年にわたるひきこもり生活。脱するきっかけは、その少し前に人間関係をつくりたいとネットライブ配信にはまったことだった。配信を通じてひとりの女性と親しくなり、ダンサーである彼女に踊っているところを撮影してほしいと頼まれた。もともと写真を撮るのは好きだったが「カメラがあると人とつながれるんだ」と実感したという

 彼はプロのカメラマンになるためのコースに1年間、しっかりと通った。

「いろいろな世代や立場の人が通ってきていました。長い間人と関わっていなかったから、最初は戸惑いもあったけど、みんなで一緒に学んでいこうという雰囲気があって違和感を覚えずにすみました。同時期に自分で見つけた“居場所”にも頻繁に行き始めました。『ひきこもりフューチャーセッション庵』という、当事者の会です。同じ経験をした人同士で話すことがいかに大事か、よくわかりました。“人薬”というのかな、医者の薬より話すことがいちばんの薬になると実感したんです

 同年秋、『ひきこもり新聞』を立ち上げた。ひきこもり当事者が声を上げなければ、世間の偏見が大きくなるばかりだと感じたからだ。「働かないダメなヤツ」としか思われていない。それは違うと声を上げたいと強く思ったという。

 ひきこもりになる人、ならない人の違いはどこにあるのか。彼が心を寄せた斎藤環さんに話を聞くと、

ひきこもりは個人の資質だとしたほうがわかりやすいけれど、必ずしもそうではない」と断言する。人間関係と環境や状況によって、誰でもストレスを感じ、うつ状態になることがある。その防衛本能でひきこもるのだという。つまり、誰でもひきこもる可能性があるということだ。

「それが孤立化し、長期間に及ぶと身体と心を病んでいく。病的な状態につながるおそれがあるんです。そうなったら治療が必要です」(斎藤さん)

 ひきこもりを招くベースには、家族関係を含む人間関係の問題、学校や職場でのいじめやハラスメントなどの環境の悪さがある。そこで何かきっかけがあれば人はひきこもってしまうものなのだという。

「親は、ひきこもらない子を育てられなかった自分を責めますが、それは意味がありません。その後、どう適切に対処するか、これからどう前を向いていくかが大事なんです」

 ひきこもりの人は発達障害が多いとも言われているが、斎藤さんはそれも否定する。「ひきこもっている状態のときは発達障害、パーソナリティー障害だと思われることもありますが、そういう安易な診断はレッテル貼りにつながりかねないと危惧(きぐ)しています」

 当事者である木村さんすら、自分が当事者だと気づけなかった。そしてひきこもりだと斎藤さんに言われて「バカにされている」と感じていたのだ。彼自身にも偏見があった。だからこそ、世間の認識もわかるし当事者の気持ちもわかる。そんな自分が声を上げなければと思ったのだろう。

当事者や親の会などとつながりをもってみて思ったんですが、当事者だけではないし、親たちも孤立しているんです。親の会に出席するのも勇気が必要なんだと思う。親の会に関われば、元当事者ともつながりができて、自分の子の気持ちにも少しは気づけるはずなんです。僕自身、本当は親子できちんと対話をしなければダメだと思っています。だから『ひきこもり新聞』は、当事者と親と支援者、それぞれの立場から記事を作っているんです」