その後、'08年に連勝は119でストップしたが、同年、北京五輪でも金メダルを獲得。さらに、'12年のロンドン五輪では、“旗手は金メダルをとれない”というジンクスを破って、五輪3連覇という偉業を達成した。

 そんな中、吉田を不幸が襲う。'14年3月、今までセコンドとして彼女を支え続けてきた父・栄勝さんが急死したのだ。61歳の若さだった─。栄勝さんの通夜に訪れた前出の花村さんも、「沙保里のげっそりとやつれた姿が今でも忘れられない」という。

 精神的支柱を失った吉田は、'16年のリオ五輪決勝で敗れ、五輪4連覇を逃す。10日の会見に同席していた母・幸代さんもこう話す。

「主人がいたらな……と、思うときはありました。リオのときも主人が横にいたらどんなアドバイスや行動をするのかなと思ったりもしました。でも、亡くなった人は戻ってこない。これからは自分で考えていかないとダメだと沙保里も考えていたと思うし、亡くなった主人を今でも家族全員が心の支えにしています」

 リオの敗戦は、吉田の脳裏に初めて“引退”という言葉をよぎらせたという。

「リオ五輪が終わったあとにあの子も私たちもすごく泣いて。でも、4回も五輪に出られたことは家族にとっては夢のような話でした。金メダル3個と最後はとてもきれいなプラチナの銀メダルをいただいて、そこでもう納得しました。でも、本人が頑張る気持ちがあるなら私たちも応援する気持ちもありました」

 だが、昨年の初夏に“'18年の試合には出ない”と幸代さんに伝えた吉田。

「それを聞いて、“そろそろ引退したら?”と言ったんです。彼女は“東京五輪はとても魅力的なんだよね”と話していました。応援してくださったみなさんへの恩返しは、東京五輪で自分が活躍する姿を見せることだからって。でも、やはり彼女から“そろそろかな”という言葉があって……」