僕の芸人人生は『他力本願』

「お久しブリーフ」ダンディ坂野さん 撮影/北村史成
「お久しブリーフ」ダンディ坂野さん 撮影/北村史成
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「『爆笑オンエアバトル』(NHK)には第1回放送から出させて頂いて、だんだんテレビに出られるようになってきましたが、忙しくなった一番のきっかけは、テレビ朝日系で放送していた『内村プロデュース』ですね。

 それが2002年秋の放送だったんですが、深夜枠で視聴率が10%という驚異的な番組に出られたことと、『マツモトキヨシ』のCMに起用されていた時期だったので、“マツモトキヨシのCMに出ている人、お笑い芸人だったんだ”ということで、特に30代の男性に認知され始めたんですね。

 その後もフジテレビ系の『めちゃ×2イケてるッ!』の笑わず嫌い王決定戦にも出させてもらって、その時期から忙しくなってきました

 『マツモトキヨシ』のCMはダンディさんの出世作であるとも言えるが、CMが決まった経緯を聞いてみると。

後輩にさくらんぼブービーというコンビがいたんですが、彼らがマツモトキヨシのポイントカードのCMに第1弾で出演していたんです。それで、第2弾のキャスティングを決める際に、CMスタッフがサンミュージックのライブを観て“彼がいいんじゃないか”となって、出演が決まったと聞きました」

 ダンディさんの実力で決まったCM出演だと思うが、彼は後輩芸人のおかげだと謙遜し、笑って話す。

 「僕の芸人人生は他力本願で成り立っているんですよ

 このCMが、その後の芸人人生を飛躍させるきっかけになったのは言うまでもないだろう。そしてテレビ番組に出るようになった2003年といえば、日本テレビ系で『エンタの神様』も始まり、ダンディさんも常連組に。さらに人気に拍車がかかるが、そこでは、なかなかの試練を味わうことに。

番組の演出なのか、観覧のお客さんの反応が悪いんです。たしかに自虐の間延び芸なのですが、お客さんの笑いが一切なくて、地獄でしたね(笑)。そんな中でも必死にネタをやりました

当時を再現するダンディ坂野さん 撮影/北村史成
当時を再現するダンディ坂野さん 撮影/北村史成

 テレビ番組だけでなく各地で営業もしていたダンディさん。テレビ番組とは違った苦労もあったとか。

おかげさまでいろんな場所に営業で呼ばれるんですが、後楽園のジェットコースターの前でネタをやったときは、オチのところで必ずジェットコースターが近づいて聞こえないという……。

 あとは、競馬場のレース終了後に、1着馬とその関係者を表彰するウイナーズサークルという場所があるんですが、その場所でネタをやってと言われても、お客さんが四方八方にいて、どこを向いてやればいいのかわからないってのもありましたね(笑)

 ある意味ネタにもできそうなエピソードもあるが、営業ならではの地獄のような体験もあったという。

一番怖いのが、場違いというやつですね。会社の集まりなんかに呼ばれたときは、スーツを着た大人の前で『ゲッツ!』なんてやっても、ウケるわけがないんですよ。だから、場違いになる営業先だけは地獄です(笑)

 老若男女、万国共通のギャグも場面によってはウケないようだ。そんな「ゲッツ!」が最近では御利益のような受け取り方をされるようで。

最近は『ゲッツ!』をやると、爆笑から拍手に変わりつつありますから(笑)

 その「ゲッツ!」というギャグは、マツモトキヨシのCMで一躍有名になったが、意外な助言から生まれたという。